パパと娘の、手を洗った回数申告制度
数日前にパパが言った「みんなで昨日の自分に勝っていこう!」の後に、パパがぴぃに一つ提案をしていた。
1日のうち、何回手を洗ったかを数えてみよう。
「これはただのパパの思いつきであって、ぴぃが毎日どれだけ手を洗っているかを知りたいだけなんだ。」
「とりあえず毎日数えてみて、昨日より今日が少なければ、それはさっき言っていた昨日の自分に勝つことになるし、例えば、負けても、そんな日もあるってだけのこと。」
「毎日勝つ必要はない、目標を持たなくてもいい、ただ何回洗ったかを覚えておいてほしい。」
というもの。・・・正直、私はあまり前向きではなかった。
それって、いわゆる認知行動療法みたいなもんで、今のぴぃには、何回洗ったかを覚えさせておくことってプレッシャーになるのでは。
いや、たぶん、私が苦し紛れに提案していたらそうなったと思う。
でも、いつもミッケに対してはあーしようこーしようと言ってこないパパからの提案だから、ぴぃも「やってみる!」となんだか乗り気だった。
そこから今日まで、ぴぃは朝起きてからの手洗いや着替えの回数をパパに申告するようになった。
パパがいない間の手洗いも、自分でしっかり回数を記憶していて、決して少なく申告することはしない。
それどころか、このミッケに対しては何回洗ってしまうかもと予測したり、パターンごとの手洗いを分析するようになった。
そして今日は、お出かけする予定があったので、家を出る前の着替えとトイレに手間取ると分かっているぴぃは、手洗いの数が少なく済むように、効率的な身支度を考えていた。
ぴぃ、気づいてる?もうその時点で昨日のぴぃに勝ってるよ。
でもそれはぴぃが気づいて噛み締めて欲しかったから、黙って見守る。
ぴぃは私に回数の申告はしないけど、私が口出ししたり、提案をするとぴぃのプレッシャーにつながる気がして、それでもいいと思ってる。
その代わり、
「ママ?この時間で○回で済んでるのすごくない?」
「ママ?お昼の後は◯回で終わらしたいんだ!」
と、達成感や希望を共有しようとしてくれる。
一緒に喜ぶと、ぴぃは私の手を自分の手で触ってくれた。
ぴぃは自分の手が一番怖い。いつも握っているし、ハグしている時でも手を広げることは少ない。
私がぴぃの手に触れられるのは、寝る直前の一番安心した時だけ。
だから私は、普段の生活の中でぴぃの手に触れられることが一番嬉しいのだ。
それを知っているぴぃは、私にも安心をくれようと触れてくれたのだ。
「ママうれしい?」「めちゃくちゃうれしいよ」
そんな会話を今日は何回しただろう。
パパは度々ぴぃに告げる。
「昨日はこの時間までに○回洗ってたけど、今日は○回で済んでるね?」
「お着替えも○回もしてたなんて笑えるね」
強迫行為を再認識してえぐるような言葉がけに感じた。
私はそんなこと言えない、てか、怖くて言えない。
ミッケに囚われない、強迫行為を監視しない、コントロールしようとしないと思いすぎて、私はぴぃに対して腫れ物のように接していたんだと気づく。
そしてこれは、いい意味で適度に無神経なパパだからありなんだとも思う。
正直この、洗った回数申告制度はいつまで続くか分からない。
でも、ぴぃがしっかり向き合ってるのだけはわかる。
ちなみに、おしぼりでは済まない手洗いのみをカウントするため、おしぼり制度は並行中。
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