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社会性は家の外にあるらしいと学んだ娘。

そういえば、いや、なにを隠そう金曜日もぴぃは学校へ行った。

1年ぶりに行った日から3回目。

卒業アルバム用の学年写真とクラス写真がまだ撮れていなくて、その撮影がある日だった。

先生や友達から事前に連絡は受けていて、ぴぃも月曜からずっと金曜日のことを考えていたらしい。

そして、木曜の夜。

ぴぃがまた眠れずに不安に襲われ泣いている。

ぴぃ「明日の撮影は行きたい、みんなと写真を撮りたい、でも学校に行きたくない。」

ってところから、

ぴぃ「病院の先生に学校のことを毎日考えろと言われけど、考えれば考えるほどプレッシャーしかない。」

と続き、

ぴぃ「こんな体で生まれてこなければ・・・病気のない、普通に学校に行ける体で生まれたかった。パパとママに迷惑かけてばかりでごめん・・・」

というところまで嘆くぴぃ。

ただ傾聴!!余計な励ましはしない!!

とは思っていても、ここまでくるといつも難しい。

私「そんなことないよ・・・」

だって、そんなことないんだもん。

寝たはずのパパもぴぃの泣き声で起き、途中参戦。

ぴぃの嘆きに対し、私の下手な励ましと中途半端な傾聴が聞いてられなかったのか、ぴぃに伝える。

パパ「いいか、ぴぃ。病院の先生はぴぃに社会性を身につけて欲しいと思ってくれている。
学校に行けている子は学校で学べるけど、学校じゃなくても社会性は学べる。パパやママのいない環境で、出会ったり経験したりして学ぶことができるもんだから、必ず学校へ行けってことではないんだ。
勉強なんてどうでもいい、やりたいと思った時にやればいい。でも社会性はぴぃが一歩踏み出せばどこでも身につけられることなんだ。」

かいつまんで言うとこんな感じ。

正直、病院の先生に毎度のことのように言われる「このままでは社会性が身に付きませんよ」という社会性について、私はそんな重要なことじゃないと思っていた。

それに、ぴぃには遊びに来てくれる友達と、見守ってくれる大人たちもたくさんいて、完全な引きこもりじゃない分、社会性は少しづつ学ばせてもらえている、と思いこんでいた。

ただいっぽうで、遊びに来てくれる友達がいつまでもってわけじゃないし、思春期真っ只中になると、今より家に籠ろうとしてしまうかもしれないし、何よりも母子分離という心配もあった。

パパの話を、ぴぃはどんな風に受け止めたかな?と思いながら、ぴぃが落ち着いて寝付くまで見守った。

そして次の日、1時間目から撮影が始まると連絡を受け、ぴぃは久しぶりに朝の会に間に合うよう学校へ行った。

ただ、学校へ行くんだ!ってことより、撮影が終わったらすぐに帰るんだ!という意気込みの方がすごかった。

1時間目で学年写真とクラス写真を撮り終え、この後は3、4時間目に授業風景の撮影があると言われたが、ぴぃはそれを待たずに帰ると言った。

その代わり、自分がいたという痕跡を残すために、友達と相談して机の上にわざと教科書を置き去りにした。


目標は達成し、清々しいほどのぴぃの表情。

そして、家までの帰り道、

「さっき友達のお家に誘われたから放課後遊びに行く。社会を学んでくるから。」

と強い眼差しで伝えてきた。

家の外に遊びに行くことなんてほとんどなくなっていたぴぃ。

パパの話をちゃんと受け止めたんだな。

社会性ってなに??って思ったはずなのに、必要なことだと感じたんだ。

またそれが、家の中では学べなくて、家を出た先にあるということも理解したんだ。

家に帰ってきてからのぴぃは、switchに手をつけることなくひたすら絵を描いて放課後を待ち、久しぶりに自転車に乗って友達の家へ向かった。

いろんなことが、少しづつ変化してきているように感じる。

またそれが、誰かしらの刺激によってということがわかった。

ただ、その刺激を与えられるのは私ではないということもわかった。

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