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6.奇跡のような日々
ぴぃは5年生になった。
クラス替えはあったけど、よく遊ぶ子と一緒にしてもらえていた。
5月、週に一回の分散登校が始まった。
各クラス10人程度、時間帯を分けて1時間だけ教室につどう。
新たなスタートを切るぴぃにはちょうどよかった。
すぐに席が前後の子と仲良くなったと教えてくれた。
持ち帰った課題も、積極的ではないけれどなんとかこなしていた時期。
もうこの頃は意欲がまさって、ミッケは影を潜めていた。
ほとんど生活習慣というか、頻度は多いけど、癖みたいに軽い手洗いだけが残っていた。
ただそれも、コロナ禍に合間って、異常行動というよりも世間では当たり前のようになっていた。
6月、短縮日課の毎日登校が始まる。
ぴぃは5年生から通学路を変えた。
いじめられていたAちゃんと、AちゃんをいじめていたBちゃんと会わないように。
また自分から巻き込まれないようにするための防衛策だったんだと思う。
ほとんど誰も通らないような通学路を、私は毎日、一緒に登下校した。
正門で見えなくなるまで送り届け、日中はハラハラする心を抱えたまま過ごす。
下校時は途中の公園で身を潜め、誰と帰ってくるかをドキドキしながら待った。
奇跡的にぴぃは毎日学校に通っていた。
これは何かのご褒美なんだと思った。
当たり前だった登下校、ぴぃのランドセル姿、
「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」
こんなやり取りも、前までは当たり前すぎて、こんなにも尊いものとは思っていなかった。
家までの帰り道に、学校で起きた楽しかった話をたくさんしてくれるぴぃ。
よく遊ぶ子達ではなく、新しくできたお友達とのやり取りをよく聞いた。
とてもパワフルで元気なグループに属しているらしい。
授業中も今日は何回発表したかってことと、その内容を話してくれてた。
係り決めでは、自分で考えた係を提案し、そのリーダーになった。
ある日、
委員会はずっと憧れていた掲示委員になると楽しみにしていたのに、なれなかったと俯きがちに帰ってきたぴぃ。
委員会決めの時間に、最初に決めなきゃいけないクラス委員の女子がなかなか決まらない。
女子同士が誰が立候補するかで数分間の伺い合いになっていたという。
後ろの席の男の子がボソッと言った。
「早く決めてくれねぇと、次の委員決めができねぇじゃねーかよ」
自分に言われたと思ったぴぃは、手を挙げてクラス委員に立候補した。
もともと、掲示委員が無理だったらクラス委員でもいいと少しは思っていたから、別にいいんだけどって。
ただ、やりたかった掲示委員は立候補じゃなくてジャン負けで決まっていたことが悔しそうだった。
ぴぃの気持ちを思うと、私も胸が苦しかった。
やりたいこと、頑張りたいことがあった、でも空気を読んでしまったぴぃ。
何をやるかは自分で決めればいい、ただ、私の不安は残った。
半年以上不登校だった子がいきなりクラス委員はさすがに大丈夫かと思ってしまった。
もしまた、学校に行けなくなってしまった時に、クラスの子達に迷惑をかけてしまわないかと心配でたまらなかった。
担任の先生に連絡し相談してみると、先生も心配して決め直しを検討してくれたが、ぴぃはクラス委員をやると言い張った。
そして数日後、初めての委員会活動。
5、6年の各クラス委員達が集って、代表1人、副代表2人、書記2人を決める会でぴぃは副代表に立候補した。
5人の候補者が、みんなに向かってどんな学校にしたいかをプレゼンし、
見事多数決で副代表の座を勝ち取った。
「コロナで大変な時期だけど、元気で明るい〇〇小学校にしたい!」
というプレゼンしたと聞いた私は、何がなんだかわからなくなったけど、
心配以上に笑いが止まらなかった。
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