8.悲痛な叫びと共に感じた我が子の成長
ぴぃの完全不登校は、意外にも意思強めに始まった。
五月雨登校にも疲れてきた頃、突然ぴぃが言った。
「学校に行こうと思えば行けるのが分かった。だから朝行くか行かないか迷った時は行かない。グチグチ悩むのはもうやめる。」
そう言ってからハツラツと朝を過ごすようになった。
行かないというスタンスを見つけたぴぃがなんだかかっこよくすら見えた。
あとは私だ。私さえブレない母であれば、、、
この頃はぴぃのミッケの症状が落ち着いていたから、私が焦点を当てて考えていたことは、不登校に関することだけだった。
ちょうどネットで見つけた不登校の親子を応援しているカウンセラーさんによる、1週間の無料メール購読を申し込んだ。
不登校についての見方を変える
不登校を受け入れなければいけないという思い込みを捨てる
解決しようとしない
他にも、自分が見ている視点を変えたり、思い込みを捨てることでいくらか気持ちが楽になることが分かった。
そして、この辺りから、1日3つのいいこと探しを始めた。
夏休みはGOTOトラベルがあったことで、コロナ対策がしっかりしてある宿を選んで、たくさん旅行へ行った。
変わらずお友達も遊びに来てくれたりで、ぴぃが心置きなく楽しめる時間を満喫した。
ぴぃの心が解放されているのが伝わり、私自身も自分の心に余裕が出始めたこともあり興味が湧くことはなんでもやった。
ぴぃは夏休みの宿題はほとんどやらなかったけど、絵だけは描いた。
そして夏休みが明けた。
ぴぃは朝からもやもやしている様子。
「学校いかなくて大丈夫?生きてる意味はある?もう、生きてるのが辛い、死んでもいい・・・」
と泣きなが訴えてきた。
行かなくてもいいよという私の裏にある感情を読み取り、本当は行ってほしいという気持ちが感じられてプレッシャーなんだという。
おかしいな、ちゃんと整えてきたのに、私の変化が逆に敏感すぎるぴぃのセンサーに引っかかったのかな?
とはいえ、生きている意味はあるのかと聞かれ、生きてるのが辛いと言われ、整っていたはずの私の心は急激に乱れた。
咄嗟に答えることができず、そんなこと言わないでと、あからさまに苦しい顔をしてしまった。
ぴぃは自分の部屋に閉じこもり、しばらくたつと自分の思いを手紙に書いて渡してきた。
折り紙3枚分の、初めてというぐらい長い長いお手紙だった。
そこには、今の悲痛な思いがたくさん書いてあった。
胸が痛くなるようなこと、ぐちゃぐちゃにして捨てたいほどのこと。
思い出したくないし、また読み返そうとも思わない。
ただ、不思議だったのは、すごく辛くて、悲しい内容なのに、私はどこか少しだけ嬉しいという感情を感じていた。
それは、本当の気持ちを話してくれたことに対するものではなくて、ぴぃが書いたその文章に成長を感じたからだ。
親としては受け止めきれないキツイ内容ではあったけど、とても読みやすくてわかりやすい文章だった。
ぴぃが今まで私にくれた手紙は、「いつもありがとう」「大好き」「これからもよろしくね」「おめでとう」という、端的なメッセージばかりだった。
それでも嬉しくて、壁に飾ったり、お財布に入れて持ち歩いていた。
初めてもらった長文の手紙は、記念と言えるものではないのだけど、紛れもないぴぃの成長を感じ、ぴぃは大丈夫だと思える安心材料になったのは確かだった。
その後私は、その手紙の返事に、
「どんなことにも意味がちゃんとあって、それは後になって感じることだから、この先の未来が豊かであるために、必要と思って生きよう」
というようなことを書いた。
答えになっていない気がしたけど、いまだに正解はわからない。
ただその後のぴぃは、あんな手紙を書いた同一人物とは思えないほど、ケロッと出てきた。
心揺さぶられ、立ち直れていない私は、もう少しぴぃと話したいと食い下がってしまった。
せっかく切り替えたはずのぴぃの心も乱れ、しばし言い争いになってしまった。
今はこれを後悔してる。
ぴぃは本当の気持ちを吐き出したかった、それだけ。
私はそれを受け止めるだけでよかったんだ。今ならわかる。
でも、ぴぃの成長を感じたという事実だけはしっかり噛み締めた。
何があってもぴぃは成長する。ぴぃは大丈夫。
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