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父親と母親、同じ親でも役割が違うことをちゃんと受け止める。

ぴぃの今を認め、ぴぃが今を安心して過ごせる環境にするために、私が整うことは必要不可欠だった。

そのために、手放したものや意識していることがたくさんある。

無駄に励まさない
大袈裟に褒めない
求めない
強制しない
監視、干渉しない
コントロールしようとしない
ぴぃの話をしっかり聞いて、反復する
わずかな意欲を見逃さない
自分の時間はしっかり持つ
自分のやりたいことをちゃんとする
自分に優しくする
主体的になる(やらされてるんじゃない、自分でやっている)
課題の分離(誰が困るかを考える)
人と比べない

まだまだありそうだ。でも主にはこんな感じ。

ありすぎるから、全部は完璧にできない。

最初は苦しくて、もがいて、ブレて、今もそうだけど、これでもなんとか整ってきたし、無駄にダメージを抱えることもなくなった。

苦しみながら意識すると、それがストレスになる時もある。

だからバランスも大事だとも思う。

そんな完璧には無理だよ、とか、今日はわがままになってもいい日とする、とか。


ただ解消されないストレスがあると、今度はパパの言動に敏感になってしまう私がいる。

パパはそれがぴぃのプレッシャーになったとしても思ったことは言いたい。

親が教えないで誰が、と思っているし、私のぴぃへの対応を過保護だとか甘やかしと捉えている。

私が意識して取り組んでいることを、何も知らないパパが平気で荒らしてきてるようにも見えた。

ぴぃに対して、そんな言い方しないでよ、それ以上言わないでよ、そんな行動取らないでよ、と目に付くとどうしても制してしまう。

パパはそんな私の態度を不快に感じ、あからさまに機嫌が悪くなる。


先週、ぴぃがアルバム写真は撮りたいけど、学校へは行きたくないと嘆いた日、パパはぴぃに社会性の話をした。

そしてぴぃが寝た後、パパはこれまでの私への鬱憤を吐き出した。

「自分の言動を制してくるのはやめてほしい。」

ぴぃの嘆きを受け止めた後、やっと寝れると思った矢先にパパにも感情的に思いをぶつけられる。

このパパの感じだと話し合いにならない、何を言っても無駄だ。

心が砕けそうになるのを感じ、思考がまとまらないまま何も持たずに家を出た。

夜の公園で、泣きたいけど思ったほど泣けず、整理したいけど完全に思考は停止していた。

どうしたいわけでもなかったから、とりあえず30分ぐらいで帰った。

家に帰って、普通に眠いと思った。すぐに眠りについた。


次の日の朝、パパとの会話は当たり障りなくやり過ごし、ぴぃと学校へ行く。

撮影を待っている間も、家に帰ってからも、いろいろ考えようとしたけど、どうしても思考が停止状態、いつもと違う。

そしてぴぃは、パパに言われた通り、社会性を学びに友達の家へ行く。


・・・そうか、考える必要なんてなかったんだ。

パパが間違ってるとかではないのはわかってるし、答えはとっくにでている。

役割が違うだけだ。すごくシンプルな話だったんだ。

私の意識を共有強制するつもりは元々なかったのに、求めたのがいけなかった。とりあえず、パパを不快にさせたことは謝ろう。

そして、私たち夫婦の父親としての役割と、母親としての役割は違うんだということを再認識しよう。


ぴぃより一足早く帰ってきたパパに「これまでごめん」と伝えた。

同じことを言っていても、パパとママでは伝わり方が悲しいくらい違う。
社会性の話も、手洗い申告制度についても、パパが伝えてくれたことに大きな意味を感じている。

パパは父親として思ったことを言えばいいし、私は母親として信じたことを貫く。たとえパパに過保護と思われても、私はぴぃの味方でいたいし、サポートし続ける。

私はいつでも安心できるお母さんになりたいんだと大まかに伝えた。

パパは前の日以上に言ってくることはなかった。

ただ、私が思いを伝えるまでの空気と、伝えた後の空気が、まるで別物のようだったことは感じた。

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