ありのままの私と子育て
乳幼児を育てていると、
もちろん自分も同時に育てられていく。。。
中で、どうにもこうにも、蓋をしてきた感情と向き合わざるを得ないといけない時がある。
大人としての、愛情、感謝、幸福感、苛立ち、責任感、我慢
子供としての、喜び、愛着、信頼、悲しみ、怒り、恐怖
大人としても、子どもとしても、抑えきれない感情が溢れ出す。
子どもが泣いたり、甘えたりする時に感じる、ざわざわする気持ちは、
かつて、自分が吐き出したくても吐きだせず、受け止めてもらいたくても受け止めてもらえなかった感情。
娘として、長女として、抱えてきた義務感のなかで、自分を守るために、抑え込んできた感情だ。
それをのびのびと、サラッとやってのける3歳の我が子。
正直、圧倒される。
受け止めてもらえなかった自分が受け止められるのか。
親から受け継いだものをそのままではなく、私たちらしい子育て、私たちらしい家庭を築いていくために、
自分との本当の気持ちと向き合う時間を作っている。
小さい私が感じていたこと、もっと吐き出したかったことを、自分が受け止めてあげる。
嬉しかったんだね、期待してたんだね、寂しかったんだね、悲しかったんだね、怒りたかったんだね、怖かったんだね。
ただ受け止められることで、蓋をしていた感情が、溢れ出す。
癒されていく。
平和な家庭で育ったはずの、小さな私が、幸せに生きていくために編み出した、ありのままの感情に蓋をするということ。
気づかないうちに、自分を苦しめていた。
甘えたいけど、甘えたら迷惑かな、
欲しいけど我慢したほうが褒められるかな、
怒りたいけど、自分の気持ちを正直に言ったら見放されちゃうかな、
悲しいけど、泣いたら怒られるかな。。。
あの時は、こんな風に言葉にして受け止めることができなかったけれど、今なら分かる。
感じる気持ちに、感じ方に、正しいも間違いもない。
人それぞれ、同じ状況にいても、感じ方は異なる。
大人だって、子どもだって、
好きなものは好きだし、
嫌いなものは嫌い、
楽しいものは楽しいし、
楽しくないものは楽しくないのだ。
あの時の親は、何か別のことで機嫌が悪かったのだろう。たくさんのことを抱えて、一杯一杯だったのかもしれない。
自分も親という立場になって、初めてそんな気持ちが分かる。
自分も親も悪くない。
ましてや、思いのままに大泣きする我が子には、何の問題もない。
自分の思い込みが創っているこの世界で、生きやすくなるために、自分と向き合う。
それは、部分的に自分の勘違いで創りあげた世界からの脱却でもある。
今までのように、自分を抑え込み、責任感や義務感の中で、フツフツと煮え切らない気持ちを抱えている背中より、
これからは、人生を楽しみ、小さな事にも幸せを感じる、ありのままの私の背中を子どもに見せていくのだ!
リラックスして、ドシッと構えて。
いつだって、ありのままはかっこいいと思うから。
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