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雨の日とたのしく


#雨の日をたのしく

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

bowです。

雨の日をたのしく

という、タグが目に飛び込んできましたので、せっかくなのでこのタグから思い浮かんだことに、想いを馳せてみたいなと。

たのしく

まず、平仮名なんですよね「たのしく」。
なんでだろう。あれかな、「楽しく」「愉しく」を使い分けられるように、あえて平仮名の「たのしく」にしたのかな。あ、こうやって「たのしく」について考えることもまた、「楽しく」もあり、「愉しく」過ごすためヒントとして与えてくれているのかも。
深いな、「たのしく」。

「たのしく」について、なんとなくわかったところで、「雨の日をたのしく」について考えてみよう。
「雨の日をたのしく」ということは、「雨の日はたのしくない」という前提のもとに話が進められているわけだ。そして、「晴れの日はたのしい」と言う前提もまた内包すると思われる。

「雨の日はたのしくない」「晴れの日はたのしい」

果たしてそうだろうか。いや、もし、
「雨の日。と聞いてどう思いますか?」
と、問われれば、多くの人はポジティブな回答ではなく、ネガティヴな回答をしてしまうだろう。ジメジメ、憂鬱……。
「晴れの日。と聞いてどう思いますか?」
と、問われれば、こちらはポジティブな回答が増えるだろう。爽快、心地がいい……。
だが、それは「そう思っているから」それぞれの天気に対してそう言う感想を抱いているとは言えないだろうか。

「晴れ」と聞いて、心地よい日差しのすっきりとした日を想像してしまう。
けれど、気温35度、湿度80%超えの「晴れの日」ではどうだろう
。一気にネガティブな感想を持ってしまわないだろうか。
ベトベト、まとわりつく暑さ。
こうなると「晴れの日をたのしく」するための手立てを講じる必要が出てくる。タグを作って、「みなさんの晴れの日をたのしくする投稿をおまちしております」にもなるだろう。

まぁ、これに関してはいいかがりレベルなので、細かいことをいちいち言ってくるめんどくさい人間だなと一蹴してしまえる意見でもありますね。
「雨の日をたのしく」も「梅雨の時期。長雨をたのしみに変換できる何かをみんなで出し合って、たのしい梅雨にしましょう」みたいな、ポジティブなタグだろうし。それはそれで、「長雨はたのしくないのか」と言う問いは捨てきれないけれど。

てか、雨からしてみれば、なにも好きで降ってるわけでもないのに、やれ嫌いだ、やれたのしくないだ、やれうっとうしいだ、たまったもんじゃないと思うんですよね。
「いや、ほんとそれアメ。オイラだって、雲の中に居られるならずっとお空で過ごしてたいアメよ。」
ですよね。空気中の水蒸気が雲になり、その中で暮らしていた雨さんは、たまたま落ちてきただけですものね。
「そうアメ。温められてお空に上がって、のんびりしてたら寒さで凍ったり大変アメよ?それで、大きくなって外に引っ張られて、500mから2000mも落下すると言う、絶叫マシンも真っ青の体験をしているアメ。」
大変なんですね、雨さんも。
「それに、なにも日本人は雨をたのしんでいないわけではないアメ。昔から暮らしと密接に結びついていたオイラたちに、降る時期によっていろんな名前をつけてくれているアメ。」
確かに。春雨、菜種梅雨、五月雨。それに、振り方にも色んな名前や表現がありますね。
「小雨、時雨、篠突く雨……感性豊かにオイラたちを呼んでくれるアメ。なんかこっちが恥ずかしくなってくるアメよ。」
雨をたのしむ。人々は昔からできていたのかもしれませんね。
「そうかもしれないアメね。今は、天気予報が発達して、オイラたちがいつ降るか分かるアメから、昔の人よりオイラたちとの付き合い方は楽なはずアメ。それなのに、天気予報でオイラたちを見るなり、嫌な顔をする人が多いアメよ。」
すみません。僕もつい、予定がある日に雨さんが降るのを知ると少し憂鬱になっちゃいます。
「それは、お互い様アメ。オイラたちが好きで降ってるわけではないように、あんたも好きで雨に降られるわけではないアメから。
その時に、『たまたま出かけた日に珍しく雨が降ってきてくれた』と思ってもらえると、オイラたちも雲から落ちてきた甲斐があったと思えて救われるアメ。」
そうか。雨が降る日の方が年間を通して少ないのだから、雨が降る日は貴重な日と捉えれば、それだけで楽しくなっちゃいますね。
「濡れちゃうアメが、それも乙だな、なんてたのしめる心の余裕がある世の中になってほしいアメね。オイラたちは、地球という大きな流れ中で生きているアメ。一人の視点から見れば、憂鬱な存在かもしれないアメ。
けれど、自然の営みと言う視点からみれば、オイラたちは水の循環という大きな役割を果たしているアメ。
恵みの雨。そう思ってもらえる日が増えると嬉しいアメ。」
雨さん、今日はありがとうございました。
雨さんも、最後に仰っておられた、自然の営みと言う言葉。自分たち、人間は自然の中で生きていると言うことを忘れて、ついつい目の前の生活ばかり考えているのかもしれません。
「雨の日をたのしく」ではなく、「雨の日もたのしく」なのかもしれませんね。毎日を楽しく過ごしていきたいですね。

なんの話だこれ

雨。ほんの少しの気の持ちようなんだろうな。
自分の世界に雨が降るのではなく、雨が降る世界に自分が関わる。
言ってみただけで、よくわからんけども。
こうやって、雨が降るだけで、いろいろと考えるのも悪くないな。
これが、じぶんの「雨の日をたのしく」過ごすことになるのかな。

なんて。

それでは、本日はこの辺りで。

失礼します。

bow


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