「想い」を持つということの大切さ(自己紹介Chapter1)

はじめまして!

この1年、SNSを通じて今まで以上に「はじめまして」の人と出会う機会が多くなったこと、年齢的に人生の節目ということもあり、自己紹介的にnote初投稿。

DJ/イベントオーガナイズを30年間ほぼ毎月数回やり続け、現在の仕事では新人向けブランド研修600回実施、InstagramをメインとしたSNS運用では2ブランドを5年間、毎日合計24投稿するなど、誰かの続けるコツのヒントになれば幸いです。

▶︎ざっくり言うとどんな人?

墨田区産まれの桐生育ち、双子の双子座、左利き、仕事の傍ら趣味でDJ/オーガナイザーを30年やり続け、家族5人での時間を大切にしつつ仕事と遊びのトリプルバランスで突っ走るポジティブ人間。割とモチベーションが一定のバイタリティーお化けとか言われがち。(コロナで本領発揮出来ず…。)

小学生の頃から電車やバスで国立や大宮までサッカー観に行ったり、バス釣りで都内、千葉、神奈川とあちこちに。中2の時には、軽井沢まで片道80kmの距離を自転車で旅行したり、20歳の時には1人でロンドン行ったりと興味が湧くと行動って感じでした。

▶︎小学生の頃から始まる収集癖

モノを所有しない傾向にある現代において信じられないかもしれませんが、いまだに所有欲の強い収集体質。所謂、小学生男子によくいるタイプで、最初に集めた牛乳キャップに始まり(その他多数)、今も続くレコードまで、知らないモノを知りたがる探究心=ディグる(掘る)人生の始まりです。

中高生になると「今」と変わらないファッション、音楽、サブカルチャーへの興味が更に高まるというわけですが、どんなファッションや音楽に触れてきたか、そこから何を学んだか、この辺の話はかなり長くなりそうなのでまた別の機会にじっくり話したいと思います。

▶︎学生時代

中学生になると墨田区を離れ、群馬県の桐生市へ移り住むことになります。最初は、めちゃくちゃ田舎だな〜という印象しかなかったのですが、多感な10代を桐生で過ごすうちに不思議と人の温かさや小さな街に魅力を感じつつ、一方で物足りなさも感じはじめます。

どんな学生時代だったかというと、普通にバンド組んでLIVEしたり、高1からDJイベントに行ったりと楽しく過ごしていました。これだけ書くとちゃんと学校行ってたの?と聴こえてきそうですが、ここはすでに自分の中で独自の考えを持っていました。

見た目が派手だったり、こういう行動をとっていると勉強できないダメな奴、というレッテルを貼られがち。それが嫌だったんです。(真面目にやるという選択肢はなかったのかい?)

だから自分がやりたい事をやるためにはやるべき事はやる努力が必要だと思いました。だから学校は休まず、遅刻もせず、授業中も寝ないでノートを取る。当たり前の事を当たり前にやるということ。やっぱり「見た目や行動も真面目にやれや!」と聞こえてきそうですね。

また、すでに周りに流されない強い意志を持っていたので、みんながやっているからやる、みんながイイと言うからイイ的なものには興味がなく、常に自分の価値観で判断していました。No!と言える日本人。

なので、バンドしつつ高校の後半にはイベント企画してDJもしたり、一応サッカー部も辞めず、中の中の普通高校ですが卒業時に表彰されるくらいはやったりました。

▶︎人生で最初の大きな選択

将来何になりたいか?という問いに今振り返れば、はじめての夢であるプロサッカー選手を除いては幼い頃から好きなモノで何か商売をやりたかった様です。釣具屋(ルアー専門店)、自転車屋(ロードバイク専門店)、そしてアパレルショップ。

高校卒業後の人生の選択において、大学進学ではなく地元の服屋(セレクトショップ)に就職する事を決めました。感度の高い友達の多くが専門学校やバンドで東京へ行く中、何故地元に残ったのか?それは感度の高い人の多くは東京に行ってしまうからです。誰かが地元に残って面白い事をやらないと、と勝手な使命感が湧いてきました。

地元にも通っていたお店はありましたが、本当に自分が好きな服や音楽(レコード)は地元には無く、東京に行かなければ買えなかったのです。だから、もっと下の世代のためにも大好きな桐生の環境を良くしたい、小さくてもそのひとつになりたいと考えました。そう、この瞬間第2の故郷、桐生への「桐生愛」という偏愛、「想い」が生まれたのです。

▶︎人生とは「想い」と「バランス」

さて、ここからが「想い」を持って生きる人生の始まりです。当然最初はぼんやりしてましたが、20代を過ごす中でどんどん大きくなっていきます。

自分にとっての「想い」とは?

▶︎自分の居る環境(地元)を楽しくする。
▶︎マイノリティなカルチャーの普及。
▶︎好きなアーティストやシーンのサポート。

主にこの3つ。所謂、草の根運動に終わりのない戦い(誰と?)。また、ただただマニアックに、オタクにならない様に「バランス」を大切に。マスや流行りも知った上でどっちが好きかみたいな。この「バランス」というワードはこの後もちょいちょい出てくると思います。

▶︎「夢」を実現する準備

一旦の夢は自分のお店を持つという事。じゃどうすればいいの?ってことで、あれこれ考えたり、先輩に聞いてみたり。結果、概ね服屋で働くと服を買いすぎてツケが溜まり、下手すると借金地獄!?…なんてことも(みんな服好きだもの)。高校の担任にも服屋は大学行った後でも出来る、別のことして先にお金を貯めれば?なんて言われたり。

それらの選択もしかり。でも出した答えは、経験を積みながらお金を貯める!でした。額に「自分の店を持ちたい」「他人の気持ちが理解できる人になりたい」なんて書いて毎日見てました。(青春!)

働き出して間もなく月3万円の定期預金を始め、残りの給料は実家暮らしをいいことにほぼ服とレコードに注ぎ込み、センスを磨くための自己投資に当てました。(ただの浪費ではありません!)

で、どうやったら人は買ってくれるのか?何が自分の個性(武器)になるのか?色々考えました。特に本読んだり勉強した訳じゃないので素人の現場感覚で。服にも流行り廃りはあるし、長くお付き合いするにはお店やブランドのファンになってもらうより、自分のファンになってもらう。そんな感覚でした。

やっぱり、服を買ったら出掛けたくなると思うんです。休日に友達とランチに行くとかでもいいんんですけど、もう少し非日常的な体験というかワクワクするやつがいいんじゃないかと。そこで考えたのが、DJイベント企画してお客さん誘って一緒に楽しむみたいな。そうすれば、お洒落して出掛ける機会がひとつ増えるし、新しい服も欲しくなる。なんなら当日はみんなでこれ揃えようみたいなこととか、ドレスコードを柄シャツにするとか企画して。(今となっては当たり前ですが、30年前のまだ地元にクラブも無い90年代初頭の話)

服屋なのにめちゃくちゃ音楽おすすめするスタイルは既にここから始まり、良い音楽を広めたい「想い」、それがアーティストへのサポートになるという「想い」、地元に楽しい遊び場をひとつでも作りたいという「想い」がガッチャンコした瞬間でした。

ここから服屋勤めの8年間、更に独立してからの10年間これをやり続けた訳です。(約18年間毎月!)

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。一旦ここで切り上げ、この後は自己紹介Chapter2に続きます。




この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?