過去のわたしと手をつなぐ
思いついた時にnoteを書いては、書き終われずに1日が過ぎていく
9月はコロナとインフルエンザと私たち家族は過ごした
末っ子はまた熱が上がり、まだまだ我が家は落ち着かない
下書きが溜まってゆく…
だけど、内側を言葉にして文字にして、出すことは
徐々にだが、気持ちと脳の整理になっていく
性暴力被害について発信が減った。
今でも力になれることがあれば、させていただく。
そんな気持ちはありながら
なぜ減ったのか。
それは、あの時のわたしと手を繋いだから。
少なくとも、恥ずべきわたしから、
私の一部と認め、共にあっていいとゆるした。
フラッシュバックから一年。
もがきながら、でも、もう内側に置いて置けなくてさらしながら
そんな私も共に生きていっていいとゆるした。
最近はそんな過去の私が沢山出てくる
まるで、私たちもいるよ、気づいてっていっているよう
“ あなたは私とは認めない “
と、
一体なのに
バラバラになっていた、ピース達が呼びかけている
離婚したかったバイオレンスな時期の記憶
幼少期のアトピーの記憶
中学の不登校期の記憶
最大手ネットワークビジネス企業Amwayをビジネスをしていた時の記憶
もしかしたらまだあるのかもしれない
消化したと思っていた者たちは、
昇華するまで出てくる
昇華までいかなくとも
今まで視界にありながら見えてませんと
していた過去の私たちを
それも私だったんだと
今のわたしが見つめる
そして、共にあろう、その私で生きていこう
と手を取りたい。
muse summit
梅澤愛
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