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繰り返す、無意味な議論

飛行機事故で、貨物室に置かれたペットが救助されなかった。
そのことで、ペットも客室にいられるようにしてほしいとの発信がありました。
それを受けて、他の人たちから色々な意見が発信されています。
ある航空会社はケージにいれるなど対処して、客室に居られるようになっていますが。
飼い主の隣にいても緊急時には荷物やペットケージも一切持たずに、人だけ脱出するのは同じです。
搭乗するさいに、その旨にサインするようになっています。

暴れるクマを処分したときに、溢れた論調と同じ

地域住民に数々の損傷をあたえたクマを処分したときに、多くの非難があったようです。
「クマを処分するな、山に帰してやれ」と。
損傷を受けた住民たちは「私達の生活や命よりもクマが優先なのか」と、反論していました。
クマを人のニオイがついた餌などで山に帰しても【人は食料を持っている、大きな獲物だ】と認識するとの意見もありました。

今回はペットということで、『普段から家族のように』暮らしていた犬や猫でした。
いわゆる有名人や芸能人など『影響力のある人』が発言することで、多くの人たちが反応します。
【ヒトの命と動物・ケモノの命の対比】に反応します。
どちらが大切なのか?という論調になります。

結局は一つの答えに到達することは無い、議論

ペットを飛行機の客室に入れることも、クマを山に帰してやれという議論も【最終的な一つの答え】に到達することは無いでしょう。
それは答えを求めていないからです。

たんに議論するテーマが欲しいだけです。
具体的なわかりやすい出来事で、誰でも言いやすいテーマが求められているのです。

答えがでないから、良いのです。
それが自我の思うツボ。

本当に真剣に取り組むテーマから、目をそらしウヤムヤなままで
過ごさせたいという自我の目的が達成しているのです。


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