質問43、どのようにすれば、精霊と自我の違いが区別できるのか?
これは「赦しのカリキュラム」中央アート出版からの引用です。
わたし自身もなにかを選んだときに、それが精霊の声か自我の声か迷います。
わたしの判断が精霊の判断と同じであってほしいと願ってますが、すぐに判定できたら良いなと思うのです。
と、わたしの一縷の望みも打ち砕かれてしまいます。
そして
精霊と自我を選んだときの違いは、自分にはわからない。
それならば、そんなわからないことに執着するのでなく、もっと他に集中して取り組むことがあると言うのです。
ではそれは何でしょうか?
いままでこの世で暮らした期間、ずっと自我の教えに習ってきました。
その自我の教えをこれからは選択しないと、いうことです。
真理の否定を否定とは、神の愛を否定する自我を否定することです。
わたしの暮らしでいうと、肉さかなを食べない、皮革製品を持たないなどに通じるのかなと思います。
それもすぐに植物性のサプリや食材を見つけられたのでなく、何年もかけて今の食生活に落ち着いてきたのです。
平安な感情を持てたり、身体的な健康もすぐに得たわけでなく、試行錯誤しながら、いまも平安な時間と身体的な好調期と反対な時期を行き来しています。
採点しなくてよい
試験や仕事に対しては、結果を確かめます。
合格か不合格、仕事の売上、利益、顧客満足度はどうだったか?
つねに採点され評価されています。
それはこの世で暮らしている限り、つきまといます。 仕方ないこと。
その具体的なことに対しての答えを精霊に求めるのでなくて、自分の自我の思考体系を退けるための助けを求めるのです。
この違いは明確です。
具体的な対処法は、先輩や先生、同僚・上司、ネットや書籍、AIチャットなどに聞けば良い。
その具体的な質問の前にある、自分の感情や思考、それが大事。
つまり、原因と結果の法則でいう、原因に迫っていくこと。
具体的なことは全部、結果です。
どれほど、原因に見えても、すべて結果なのです。
その原因を取り除くために、精霊に助けをお願いする。
その意欲があれば良いのだと、イエスは言うのです。
この記事のまとめ
精霊と自我のどちらを選んだか、すぐにはわからない
だからそれに、とらわれることはない
神の愛を否定する自我を否定することに焦点をあてるべきだ
この世の具体的なことの答えを精霊に求めてはいけない
自我を退けるための助けを求めること
その意欲、小さな意欲があれば良いとイエスが言っている
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