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ソメイヨシノ のように

平原綾香さんの「ソメイヨシノ」をリピート再生しながら書いてます。
《大木であっても、いつかは枯れてこの街から無くなってしまうのに、大地に根を張って風に吹かれても雨に打たれても、なぜそこまできれいな花を咲かせてくれるの?》のようなメッセージが含まれた歌詞になっています。

ひとも、いつかは朽ち果てるけれど

人や花、動物に限らず、いずれこの世から姿を消していきます。
人類史上、死ななかった人はいないですね。

いずれ死ぬのですが、人は人として、やるべきことがあるのです。
動物や植物など世話をして、それらに癒やされ、食物として食べる時も、人はやるべきことがあります。

一日、一ヶ月、一年、十年など区切りをつけながらも、この世で働き
辛い経験もしながら。

この世で生活していける技術や対人能力を身につけてから、「真に目覚める道」を探しましょう。

人生が終点になったとき、真実にたどり着いていないとまた繰り返す。
生まれ変わってしまう、輪廻転生のサイクルに入っていく。

二度と繰り返したくない

この人生をまた繰り返すなんて、とてもつらいなーとおもっています。
『人生は一度きり、楽しまなくちゃ損』など言いますが、その楽しみとは何でしょうか?

この世が地獄のようで、一切の救いがないことが理解したら、はやく目覚めたいと願うでしょう。
ところが地獄の中でも、それを和らげてくれる快楽をみつけ、この世が楽しく思えてくることもあります。

実は救いである。

この世が地獄であり、救いがなくとも、それが救いであるとも言えます。
それは、この世は【神が創った絶対な世界ではない】ことです。

神が創った世界なら、他に救いを求められない。
ところが自我の作った世界で幻なのです。

幻の中で真に目覚めたら、
神の国にいることを思い出せるから。

この世は、救いの世界に目覚めるための幻だったと気づくことが出来ます。


さくら


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