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長崎の平和教育で覚えていること

広島は8月6日。長崎は8月9日。
長崎で生まれ育つと、学校での平和教育の機会が多かったみたいで、東京へ行った時に、原爆が落ちた日を知らない人たちがたくさんいることに驚いたことを覚えてます。

8月9日は必ず登校日

夏休み、子どもの頃の原風景は
青い空と勢いよく伸びゆく樹々と白い雲
蝉の大合唱の中で、汗だくになって遊ぶ。

毎日毎日プールにいって
通る風や扇風機で涼みながら
アイスバーやかき氷やスイカが楽しみで。
なんだか昭和感満載ですが、今も身体に残っています。

8月9日は必ず登校日
長崎に原爆が落ちた日は平和集会がありました。

夏休みのウキウキした気分と
戦争について考える機会はいつもセットで
「八月がくるたびに」という読書感想本の題名をよく覚えてます。

原爆の歌

ふるさとの街焼かれ
身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に

原爆許すまじ 作詞:浅田石二、作曲:木下航二

これ一番の歌詞全部覚えてるんですよね。
今も歌えます。きっと何度も学校で歌ったんだと思います。

長崎原爆資料館

長崎の子ども達は、小学校の社会科見学で行くことになってました。今の資料館よりももっと古く、原爆で焼け残ったものや被爆した方々の生々しい写真。会場を巡ることが怖くて泣き出す子もたくさんいました。子ども心にとても怖かったです。

新しい原爆資料館

子供の頃に刷り込まれたこと

戦争をしてはいけない。原爆は恐ろしい兵器。
子どもの頃に教育されたことは、深く残っています。

と同時に、日本は悪いことをした。日本人は劣っているという考え。
その時代の教育によって、植え付けられたこともたくさんあります。
ハリウッド映画全盛の頃で、西洋はカッコいい。東洋はカッコ悪い。私はそんなことを漠然と考えている子どもでした。白人のように綺麗な容姿で生まれたかった。なんで日本人に生まれちゃったんだろう。。。
(ちなみに今は、日本大好きな大人です。)

戦争が起こったのはずっと昔のことだと思ってましたが、あの時9歳だとしたら、戦後35年しか経ってなかったんだと最近気づきました。まだ敗戦国としての文化の中で、たくさんの刷り込まれてきたことがあったのかもしれません。

戦争はその奥にいろんな思惑がある

誰が悪かったんでしょうね。。。
ひとことで、どの国が悪い、誰が悪いとは言い切れない、たくさんの思惑、情報操作のなかで私たちは生きています。真実はよくわからないんです。

本来の自分でいて、自分のリズムで生きることは勇気が必要になることを、コロナ禍という戦争にも似た状況を身近に体験してよくわかりました。

社会がそのようにもっていってしまうんです。少ない声は悪になっていくんです。どうすることもできない流れができてしまうことに無力感を感じました。

「何を選択していくのか」一人一人が、より意識的に生きる必要を感じます。それが、どんな選択であれ分かち合える社会を願っています。

ただ、原爆はゆるすまじです。絶対です。
生きとし生けるものを一瞬にして破壊し、土地を殺しました。二度と使ってはいけないものです。

11時2分 黙祷

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