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あなたのその武器だけで闘えますか?そもそも闘う必要があるのですか?いつも誰と闘っているのです?

知ったかぶってしまうのは狼の皮を被ること?

 毎朝、会社や職場に出社して、とりあえず昨日見たテレビ番組や芸能ニュースに花を咲かせる。あの芸能人の発言はどーだ、政治家のあの行動はどーなんだ?野球の監督の采配はダメだ、俺ならそこで交替する。だからあのチームはいつも勝てないんだ。みんながみんな批評家で専門家だ。
 納豆を食べるとどーのこーのでこーなんだ。えっ?そーなの?それでね、一緒にあれも食べるとこーなるんだよ。え〜?知らなかった〜!その話し、最近ではダメなんだって専門家が言ってるよ?えっ?そんなことも知らないの?ナニさぁ?ちょっと知ってるからって、そんな知ったかぶっちゃって!ちょっと性格悪いんじゃない?でも、それ昨日のテレビで言ってたよ!えー!テレビの話し信用するの?ナニ?じゃぁあなたはテレビの専門家よりも専門家なの?
 いやいやぁ〜楽しく話せて、楽しく笑えればそれでいいんじゃない?ナニが正しくたって、間違っていたって、楽しく笑っていればみんな仲良く働けるのに、輪を乱さないでよ〜。

 いろんな場面で物事をめんどぐさがり、難しい話を避けて、面倒な出来事は誰かに任せる。物知りと言われる人はめんどくさがられ、正反対な場所にいる人は知らない事は誰かに教えてもらえれば良い、誰かに聞けばよく、そして口癖が「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」そうそう、聞けば良いんだからイチイチ面倒なウンチクはほっといて。と言われる。

 みんながどれだけ知っていて、自分がどれだけ知らないのかという物差しを持っていない。自分が知り得たお得なニュースはキットみんなが知らない事だから教えてあげよう。そして尊敬の念を貰おう。往々にしてテレビで話すことは、普段無口で隅っこの方で難しい顔をしている人は大抵すでに知っている事で心の中で鼻で笑っていることもある。テレビで人気の塾講師の先生を嫌うタイプは割りのこのタイプに当てはまる。


世界は広い壁は高い、そして自分はここにいる


 昨日スポーツニュースでサッカーで活躍した選手の生い立ちや、学生時代の努力のエピソードを特集していた。早速知り得たニュースを翌日披露するのだけれど、サッカーファンとかくサッカーおたくと呼ばれる人種の人たちにとっては、みんなが知っていて今更なニュースを、たまたま大事な試合前で、ファン以外の人にも聞いて欲しくて紹介されていた。ペットの話や料理の話、割と好きで詳しい人にとっては常識な話を、自慢げに誰にでも話してしまうタイプの人間がどこにも一定数の割合で存在する。

 往々にして話し好き。というよりも自慢好きの人は少ない武器で勝負に挑み出す。けれども相手がどれだけの武器を持っているのかわからないから、果敢に攻め込むことはしない。少し仲が良くなって、こちらに攻撃心を向けてこない、もしくは自分よりも武器の数が少ないと目論めば一気に攻め込む。相手がどれだけの武器を持っているのかも知らずに攻め込むものだから、一気に形勢を逆転されれば、辺り構わず手段を選ばずに猛攻撃をかける。


みんな違ってみんな良い?自分にあぐらをかいて何が悪い?


 自分がどれだけ少ない武器しか持っていないから、他人がどれだけの武器を持っているのかと想像がつかない。というよりもそもそもなぜ戦う必要があるのか、どーして戦わざるを得ないのか?

 人にはそれぞれ得意、不得意というものがある。物知りで何にでも詳しく知りたがる人もいれば、その場の瞬発力で空気を読んで何事をどのように進めればみんなが納得して解決する方法を思いつく人、みんなの感情を汲み取り、それぞれの気持ちを汲み取って場を沈めて明るい空気に入れ替えることができる人。ナニも物事を知っていなくてもその人の魅力ってものがある。


結局学校で習ったことなんて社会で何の役に立つの?って聞かれたことない?

 成功体験だとか、自分でやり抜く力とか言われる話しで、誰かに頼って助けてもらって、何事かを成し遂げる。学校の夏休みの宿題なんて典型的なその学習だと思うんだけど、毎日コツコツと解いていく学習ドリル、自分でテーマを決めて解決までの道筋を導き出す、読書感想文は長い文章を要約して人に伝える語彙力を磨く。大人になって仕事で生活で様々な場面で勉強して成長していく中で「学習する方法」を学校生活の中で学ぶわけだ。そして2学期の始まりに学友たちがそれぞれの発表をするのを聞きながら、それぞれの考えや解決への道筋の様々なバリエーションをも実感する。これらをのらりくらりかいくぐり、ドリルの答えは友人のものを書き写す、自由研究は親や親戚に代理で頼む、読書感想文なんてNETからコピペする。

 これらの学習機会は点数がつけられるわけでもなく、マイナス評価を得るわけでもなく、無駄な時間をお金で買ったり、他の大切な時間に割り当てる。という発言もよく聞く。もっと有意義なものに置き換えられるのなら大いに賛成したい。ただ、この大人になって「学ぶ力、学習方法を学ぶ機会」をスルーしてきた大人を見ていると、口はうまいが仕事ができない。そんな人格を時折見てきたように思う。

 自分で考え、自分で解決策を見つける、新しい事業のスキルを身につける、大きな問題の直面し解決策を見つけ出したり作り出す。そこで足りない物があれば、誰に頼めば良いのか、どんなスキルが必要なのか。そのスキルを持っている人物はどこにいてどのように見つければいいのか、その人がそのスキルを持っているのかをどう見極めればいいのか。


そもそも何が武器で何と戦っているのか誰も知らない


 自分がどれだけの武器を持っているのか、これは武器なのか?これも武器なのか?そもそもこれは武器なのか?自分はどれだけ知らないのか?他人はどれだけ知っているのか?そもそも知らないといけないのか?そもそも闘う必要があるのか?自分のことが嫌いじゃないのか?自分のどこを好きになれるのか?自分のことを好いてくれる人がいるのか?そもそも自分は他人を好きになれるのか?

 意地悪な人ってどーして意地悪なのか?自分は意地悪じゃないのか?誰かを妬んではいないか?自分はなぜ誰かを妬んでしまうのか?誰か自分の話を聞いてくれているか?自分に問いかけてきてくれているか?自分の話をして必要としてくれているのか?そもそも自分から勝手に話しているだけじゃないのか?自分は必要とされているのか?


自分に言い訳するのはもうやめよう


 でも、誰かに話しかけてみないと何事も始まらない。話しかけないと誰も聞いてはくれない。それが歌なのか、詩なのか、絵なのか、面白い話術なのか、楽しい笑い声なのか、自分はここにいるよ。素直な気持ちで寂しいよ。一人では頑張れないよ。だから自分には嘘はつかないよ。見栄はやめるよ。人を馬鹿にはしないよ。人のやることを応援するよ。妬まないよ。人に優しくするよ。そういう人ってきっとみんな大好きで応援したくなる。

 だからみんなを応援しよう。みんなに勇気をあげよう。みんなに感謝しよう。そして自分のことを応援してもらおう。自分に嘘をつかないように、自分を裏切らないように。自分を嫌わぬように。

 「言い訳」をやめればそれだけで、なんだって上手くいくさ。

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