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自分いじめ

運動をする人は、なぜか自分をいじめる人が多い。
運動をする人は、そのいじめが自分を成長していると勘違いをしやすい。

気持ちよかった・楽しかったはずの運動が
いつの間にか、「これができない」、「これができたら・・・」と
自分を追い詰めるメンタルに変わっていく。

その瞬間に楽しいだけの無条件の愛が、
私は十分ではないが、これができれば価値がある
という条件付きの愛を自分に与え続け始める。

そして、その体の使い方をしていると、それを外の世界にもし始める。

自分の仕事の向かい方
友人関係の関わり方
恋人やパートナーに求めること
子供に求めること

全てを「これが乗り越えられれば、もっと良くなる」
と言うマインドに走っているかもしれない。

その関係は、どこかに欠陥が必ずあることが必要なので
欠陥探しをしていると思う。

仕事場がもっとこうだったら
私がもっとこうなれば
息子が学校に行ってくれたら
旦那がもっと優しければ

そこを乗り越えても、何も変わらない。
なぜなら、また次の欠陥を見つけるに過ぎないから。

自分をいじめることをやめる。自分を含めた身の回りの粗探しをやめる。

その代わり、
自分を含めた身の回りがどうであればもっと気持ちよく動けるのかに対して
動ける自分になること。

それを、私はピラティスで学んだ。
身体が無理をすればできるように動くのではなく
身体が気持ちよくなることを選ぶ動きをする。

同じ動きをするのでもインテンションが変わってくる。
何を目的にして動くかが変わる。

例えば、ティーザーという動きがある。

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この動きをするときに、体を持ち上げようとすることをほとんどの人はする。
それをしようとすればするほど、
身体はマシンに引っ張られて起き上がれなかったり
引っ張られないように肩を使って無理やり起きあがろうとする。

でも、ここの意図を体を持ち上げるのではなく
体を下に根ざすグラウンディングのための運動だと思うと
体への影響はガクンと変化する。

今まで、自分を引き戻そうとした手の中のストラップは
自分をグラウンディングしてくれるサポートとして大いに活躍する。
肩は安定し、押すことも引くこともなく、ただただそこに存在してくれるだけで
ありがたい存在になる。
無理やり押し切ったスプリングの重さは
重いという抵抗から、ぶれないという感覚に変わる。

そして、起き上がれたとしても起き上がれなかったとしても
この運動を体を下に根ざすグラウンディングの運動だと意図しながらエクササイズを試みた後、マシンを降りると軽快さと明るさと上に引き上がる感が身体中を見にまとう。

でも、起きあがろうと意図して格闘した末は、疲労感と徒労感しか残っていない。

自分いじめを続けないと自分が向上しないように感じるのはマヤカシだ。
嘘だ。

自分をいじめることをやめて、
自分が周りからサポートをされる存在なのだと感じると
きっとあなたは自分では想像できず気づきもしない能力を仲間に見出されることになる。

それがピラティスだと私は思う。

自分に感動をするSoul Of Pilates

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