Soul Of Pilates Master class 1日目
今回の日本帰国は、ピラティスのインストラクターとして
すでに活躍をしている方々に私のピラティスの指導スタイルを伝える内容でした。
そのスタイルをSoul Of Pilates と名づけました。
なぜならば、一人ひとりの魂があるように、
一人ひとりのピラティスの在り方があっていいと思うから。
そして、その人の魂をピラティスを通じて輝く方向へと連れて行けると思うから。
インストラクターたちの前のめりになって聞く姿勢に、私も応えたいという想いがお互いに共鳴しながら、どんどん内容は深くなって行きました。
私の教えるピラティスは、身体を通じて心に変化を起こすことをして行きます。
というか、身体を整えていくと、心に変化が起きないわけがないという事象を目にしてきました。
昔の私はもっと身体を綺麗に見せるとか、腹筋強化!とか、動けるのが楽しいんだ!みたいなところを
ずっと教えてきました。
でも、ある日、自分の病気と対峙をしながら、
今も学び続けているサムに出会った時に、ピラティスというものはエクササイズではなく、哲学なのだということを体感しました。
そこから、私のSoul Of Pilates はスタートしました。
それが2012年のことだと思います。
2008年から教えてたビバリーヒルズで有名な先生の元を離れ、
自分で2011年にサンタモニカにオフィスを持ちました。
でも、ピラティスをすればするほど腰痛が悪化して、私はピラティスを諦めようと思ってた時でした。
そんな11年前の自分を思い出しながら、
今回の大阪でのSoul Of Pilates コースはスタートしました。
つまり、その11年間で培ってきたピラティスは哲学であるという内容をまとめた
クラスを今回行ったのです。
昔の私は、たくさんの指示をクライアントさんにしてきました。
ここをこうして、ああして、お腹は引っ込めて、首は長く、肩はさげて!
肋骨は締めて、お尻がそれじゃ上がらないよ。
そうやってたくさんのことを言えるインストラクターが素晴らしいのだと思っていました。
知識が増えるほど、口数も増えて行きました。
だから、昔はクライアントさんに「いずみはアイロンバタフライね」と呼ばれていました。
鉄の女、ならぬ、鉄の蝶。
蝶のように柔らかい物腰で話すけど、鉄のように冷たくきついと。
でも、サムに出会って、
私がやっていることはピラティス氏がやってることと真逆なのだと気づきました。
私がやってきたことは、全てクライアントさんの力を奪うやり方だったのかもしれない。
そんな風にショックに思った日を今でも鮮明に頭の中にあり、
キャディラックというマシンの上で泣いたのを覚えています。
そんな私が11年間かけて、培った教え方。
身体を小さなテコ入れで大きく変容させるエンパワリングな方法。
クライアントさんが自分で自分を探して助ける方法。
終わった後に心から自分に感動をする方法。
それらの理念や原理を教科書にまとめて渡しました。
そして、講義の後は、動きの中で、自分を探してもらうことから始めました。
1日目の動きを目の前で見ることで、一人ずつどんな癖があるのかも私の中の頭に情報として入れていく作業をしながら。
ピラティスは、自分の魂を入れてる器を整えていく作業だと思っています。
だから、その器がどうして歪むのか、どうしてうまく動かないかを身体を持って体感させられます。
その瞬間、自分と向き合う必要性が出てくるのです。
それと同時に、
インストラクターが何をみて何を感じて、どうサポートをするのか、
インストラクター側の考え方も私の中に情報として入れて、翌日の伝える流れを考えます。
体の一部に触れると、エネルギーがどう流れるのか。
小さな小さな体の一部なのに、それがどうしてこんなにも体に制限をかけているのかに
少しずつ気づいたり、気づけなかったりを繰り返しながら。
体の一部に触れる技術は、私がヤムナをやったり、子宮マッサージをしたり、エネルギーワークをすることで気づいてきたことでした。
このクラスが翌日からインストラクターたちを揺さぶっていくことになります。
ちなみに、子供たちは大阪の保育園に預けました。
この選択は正解だったと思っています。
子供たちがとても楽しく日本の先生に大切に関わってもらったこと。
これがとても大きかったです。
「もう迎えにきたの?」と言ったその一言で
いい時間だったのだということが伝わってきました。
体というものは、私たちが思うより聡明で、繊細であることを伝えながら1日目は終わりました。
自分に感動をするSoul Of Pilates
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