ねむるときの安心感
20代前半の時、友達達と数年住んでたときがある。男女4人だったり、時に6人になったり、また4人になったり・・・etcと出たり入ったりしながらの共同生活。
まだシェアとかがあまり一般的ではなかったときで、関係性を何も知らない人達からはもの珍しげに感じられたり、友達(男女間)の関係性を変に疑われたりするのも日常茶飯事だった。
『たしかに(何も知らんかったら)そうおもうよなー』っとおもいながら
わたしはみんなに家族や兄妹的な感覚に近い感じで過ごしてて、なかでもそのなかの1人の子(男友達)の横で寝ると(お互いまったく異性としての感情はない)お母さんの横で寝てるような感覚になってすごくリラックスして寝れていたってことがあった。そんな母性に溢れたような子では全くなかったのに。w
実際のお母さんを思い出すっというか、絶対的安心感に包まれているってゆう感覚で、海とか地球的な母性のなかにいるような感覚に近かったのかも。
わたし的にはそんな風に感じれる人は珍しくて、その時のことを最近よく思い出すのは
今の相方(パートナー)もそんな感じだからだとおもう。
今日は、昼から帰ってきた相方と家事や掃除をいっしょにして、数日前に届いた大きなテレビを設置。
それに合わせて部屋を模様替えすることになり、色々と配置を変えてひと段落。
コーヒーを淹れてお菓子を食べながら、休憩Time。
ホッと一息ついたら、2人ともウトウトし始めてソファーでお昼寝。わたしは相方のお腹あたりを枕にして寝る。(途中、重いっ‼︎と起こされる。そらそーだw)
安心感以外何もない時間。
それ以外何も無いとても普通で幸せな時間で、こんなに安らいでいいのかな?大丈夫かな??
っとまだ少しだけおもったりする。
『しあわせだなぁっておもってもいいんですよね??』
日常が変化をしてきた際にクライアントさんによく言われる言葉。数日前も講座でお聞きした言葉。
しあわせを感じたら(緊張を緩めたら)また嫌なことが起きるんぢゃないか??っと不安になる。問題や課題の大小はあれど、変化に対して(それがいいことであっても)不安になるのは珍しいことぢゃない。変化はどきどきするもの。
どきどきしながらも、しあわせはしあわせだと感じたらいい。
そっちが自分にとってチャレンジなときもある。
そんな小さな受容れるチャレンジの積み重ねが、自分と豊かさを隔てていた壁をとかしていくよ。
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