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イモ姉ちゃんの妻と東京で暮らすということ


私も妻も地方出身者である。

大学卒業とともに一緒に東京へ出てきて、数年の同棲をへて結婚した。

よくある上京物語だが、今回はその妻が、いまだにまったく東京に染まることがない、という話をしたい。

東京育ちの方には「東京に染まる」という概念がピンとこないかもしれないが、東京は国内では文字通りダントツの都会であって、その時点でとびきりスペシャルなのである。

私の故郷である広島市は、地方都市の中ではまあまあ栄えているほうだし、ましてや、過疎のすすむ中国地方の中では完全に恵まれた場所だ。より大きな都市である京都や大阪で暮らしてみても尚、そう思っていたのだ。

しかし、東京と広島を比べると、あまりのレベルの違いに愕然としてしまう。

熱量、情報量、密度感、洗練具合。ほとんどすべての分野のメッカがここにある。人も会社もお店もすべて、ホンモノが数十分で行ける範囲に存在している。絶望的なまでの都会である。

正直、ここで生まれ育った人間と『おのぼり組』とでは見える世界がまるで違うと思う。

たとえば、広島からは奥田民生や世良公則は生まれたが、細野晴臣や山下達郎が生まれることは多分ない。そういう違いがある。(たとえが感覚的すぎる)

で、「東京に染まる」ということの意味だが、私が思うには、「東京のヒエラルキーに吸収される」ということを指すのだと思う。

東京はすべてのメッカであるからして、この世が階級社会であることが、目に触れやすいのだ。いちど上京すると、常に金銭的、社会的、能力的な階層を意識せざるを得ない。外車がそこら中を走り、高級ブランド店が軒を連ね、豪邸を目にし、六本木ヒルズを仰ぎ見る。名門大学や難関高校がそこかしこにある。街や駅のひとつひとつがブランドだから、住む家を決めることが、もうすでに自分の地位の確認のようなものだ。

そうした階級社会にふれ、上を見ても下を見ても際限のない、巨大な蟻塚のような大都会にいると、勝手に精神をすり減らすこともあろう。だから『まだ東京で消耗してるの?』というのは、けだし名キャッチコピーであった。

ところで妻の話だった。

彼女は長年東京に住みながら、そうした階級間に対する軋轢を感じず、コンプレックスを感じずに、田舎娘の感覚のままで今に至っている。

東京に染まってしまった私にとっては、彼女の牧歌的な世界観や平和主義が心の救いになることもあって、それも含めて妻を愛している。

私にとっては、自分が世間に対しての盾になることで、彼女に純朴なままでいてもらいたい、というような手前勝手な責任感を持って自惚れていたのだが、とうの私がうつを患って仕事から戦線離脱した時、矢面に立たされた彼女の苦しみはそれまでの比ではなかった。

単純で傷つきやすい妻にとって、自ら矢面に立って、身寄りもいない東京で生きていこうとするのはたいそう苦痛だった。そして、帰宅すれば私が寝込んでいるのを目にする毎日だ。妻にとってひどい日々だったに違いない。
私の方も、これがよく耳にする、『うつの共倒れ』に繋がるのかなと不安に思った。自分が病気になっていちばん恐れたことである。

その後、私が復職して、妻の負担はだいぶ減った。田舎娘のモラトリアムに戻りつつある。夫婦も一種の依存関係なので、一度バランスが崩れると持ち直すのは大変だ。「病める時も、健やかなる時も、お互い支えあう」と誓い合ったはずであるが、人は常に理想通りに動けるほど強くなかったりもするので、自分たちなりのバランスを見つけるしかない。

ところが先日、そんな私たちの間に子を授かった。はじめての育児なので、私も妻も勝手がわからないなりに子供に向き合っている。
そして、どうやらこの子は東京で育つことになりそうだ。

この人生は本人のものなので、東京に染まってくれてもいいが、競い合ってすり減ったり、人と比べて卑下するようなことはせず、時には妻を見習って、イモっぽく大らかに生きていってもらいたいと思う。

ぜいたくな望みかもしれないが、親も子も未熟者同士、共に助けあって暮らしていきたいと願う次第である。

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