運を掴むために~流れに身を委ねる【オネエ占い師:蒼樹のエッセイ】
「運を掴む」というのは、まるで宝くじの番号がぽんと当たるとか、突然、道ばたで一億円拾うみたいな派手なイメージで語られがちだ。
けれど、そもそも運というのはそんなに物理的で単純なものじゃない。現金の形で配られるなら、たしかに分かりやすいけど、残念ながら運は目に見えない、風みたいなものなんだ。あたしたちはその風を感じ取るセンサーをちゃんと持っているかどうかが問題なわけで、風がどこから吹いてくるかに敏感にならないといけない。
「運が人を選ぶ」なんて表現があったけれど、これにはうなずける。運というのは一方的にこっちから掴みに行くものじゃない。運って生き物みたいなもので、気まぐれにやってくる。そして、こっちが準備万端にして、ゆるりと手を広げて待っていないと、するっと抜けて行ってしまうこともある。運を捉えようと思うと、無理に頑張らないことが実は一番大切なんだ。
でもさ、世の中には「やればなんとかなる」って信じて、何でも一生懸命に頑張りすぎちゃう人がいる。だけど、頑張りすぎてカチコチになっている人には、なぜか運がやってこない。これって面白い現象だよね。運ってのは、もっと柔らかい、風のような存在だから、固いものにはぶつかって跳ね返されるんだろう。だから、あたしたちも水に浮かぶような感覚を身につけなきゃいけないのかもしれない。
水に浮かぶといえば、まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ。抵抗せずに、ただそのままの自分を浮かせる。頑張らず、抗わず、ただ流れに任せていれば、自然と運命の波がどこかへ連れて行ってくれる。この「流れ」というのがミソでね、あたしは時々、運の流れを感じる瞬間があるんだ。いい時もあれば悪い時もあるけど、その流れに逆らっちゃダメ。たとえ嵐の日であっても、今がどん底だと思っても、あえてそこで泳ぐことをやめず、浮かび続けることが大事なんだと思う。
運のいい人って、なんとなく会った瞬間にわかるじゃない?彼らはなんかこう、リズミカルなんだよね。会話も弾むし、自然体で、しかもツイている感がにじみ出ている。逆に、運がない人って、話していても妙にぎこちないんだよね。会話がどこか空回りしている感じで、心ここにあらずの状態。そういう人は、今この瞬間に生きてないんだ。過去に後悔していたり、未来の不安に囚われていたりして、目の前の風を感じる余裕がない。
運って、結局は心地よく今を生きるための指標みたいなものかもしれない。自分が今、何を感じ、何に心を動かされているのか。それをちゃんと見極めて、違和感があればそれを捨て、心地よい方向に向かって進んでいく。そんなシンプルなことが、実は運を引き寄せる秘訣だったりするんだよね。
「運が欲しい」と願っている人ほど、その運を遠ざけているってこと、少しでも気づけると、風を感じる力がちょっとだけ強くなるんじゃないかな。
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