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2020/9/21「船を食う」

・雑に過ごす4連休3日目。今のところ特に重みがあるような事は一切していません。今日も朝のような昼に目が覚めて明日に何も残らない一日になるような気がしたので何か理由を求めて外に出かけます。

予定も無く適当な場所に気が向くまま行くってのは好きだけど、それはある意味「予定も無く適当な場所に気が向くまま行く」という予定があるから楽しめているのであって、外に出るための理由を求めてどこにでもないどこかへ行くのはゴールの無いマラソンの様な先の見えなさを感じるのでむしろ嫌いだったりする。アレだ、よくあるやらせと同じ。予定が無いという予定で自分を無理矢理納得させることでどうにかこうにか体を前に進ませている。

常に安心に守られている状態でないと行動が出来ないので、新しい事では無くいつもと同じ行動ばかりとってしまうのだろうか。

と、屁理屈をこねてみる。餅は餅屋、屁理屈は屁理屈屋。

屁理屈屋って何だ?


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・船盛りです。船盛りって初めて食べるかもしれない。何となく船盛りにあこがれを抱いていたんだけど、いざ船盛りを目の前にすると刺身を食べる上で船に盛り付ける事に意味があるのだろうかと疑問に思ってしまう。

船に盛るか皿に盛るか。どちらかを選ばないといけないのであれば次から皿を選ぶと思う。刺身を食べる上で船は邪魔なのだ。

大き目の切り身であれば問題ないがいくらやネギトロやわさびは下に敷かれている簀の子の割れ目に落ちてしまう。アイスの蓋を舐めなくなって幾年経ってはいるが簀の子に落ちたいくらは何もかもを投げ捨てても救ってあげたかった。ごめんよいくら。ネギトロも隙間に塗りこめられてしまっていた。ごめんよネギトロ。

・初めの内は巨大な船に圧倒され、その大きさから勝手に船盛は美味しい物なんだと錯覚していたが、実のところは皿だろうが船だろうが味は変わらないわけで、そうなると食べやすさに焦点が移る。となると船は食べやすさで言うと悪手にしかならない。船自体は逸れなりに大きいのだけど、食べやすい形状かと言われると妙にでこぼこしてたり隙間があったりするので割と食べにくい。食べている途中で「皿で盛り付けてくれればいいのに」とさえ思ってしまう始末。

船盛りは刺身を食べるものでは無くて船を食べる物だと思えばいいと思います。

なんだか、刺身にも安心を求めたくなったな。

お金を捨てるためのドブです。 ドブに捨てるよりも時間はかかりませんので是非。