見出し画像

day1:人は記憶で生きていると思う

麦ヨルニちゃん、春ちゃんへ

人は記憶で生きていると思う。
などと言ったら、心の中のビジネス研修講師の先生が「過去志向ですね」「社会人というものは常に未来志向で、目標に向かって日々を過ごすべきなのです」と言った声が聞こえてきてしまうのだけど。
もちろんまだ見ぬ未来を妄想する時間はとても充実した時間だし、
「明日はも〜っと楽しくなるよね、ハム太郎」って気持ちはとっても大事なんだけど、思い出を抱きしめながらベッドに入る日が合ってもいいと思うんです。

毎日会社から帰る道は、夜中に彼とふたりで家の近くのセブンでコンドームを買って、「あ〜、くるりの歌みたい」って言った彼に、くるりに謝れって思いながら手を繋いで歩いて帰った誰もいないふたりっきりの道だったし、
その途中にある止まれの標識がチカチカしていて、私がこわいって言ったら、彼がさらにおどかしてきて、その夜は彼に背中をくっつけて寝たことだったり。

1年も経つのに、そこの標識はまだチカチカしたままでした。

要は、なんてことない毎日の風景もどこかの誰かの物語とか気持ちとか想いとか感情とかがのっかっているということで、今まで私は自分が発する何かを誰かに認められたいとか社会にとって価値があるべきものにしたいという気持ちが、おこがましいながら、尋常じゃなく強かったんだけど、自分の記憶は自分だけの宝物にすればいいんじゃないかなと最近ふと肩の力が抜けました。

最近カメラを買ったんだけど、写真1つとっても、何を撮るべきかみたいなことで頭を悩ませたりしていたけれど、私は、今肌を流れた桃色を、
宝箱にしまっておいて、いつかの自分がその宝箱を開いて眺めるときのために、今を生きようと思ったのでした。