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Creating your own Livelihood【Retrosuburbia27章読書会第2回】

この章では暮らしの仕事について終始言及されます。まず、今の私たちの暮らしと仕事がどのようなものであるか、見ていきましょう。

まず私たちの暮らしと仕事にまつわる概念は、暮らしと仕事が明確に対立軸になってしまいます。ほかにも、仕事と余暇、仕事と遊び、仕事と家庭、仕事と子育てという風な言葉がありますね。皆さんもどこかでそんなことを聞いたり、使ったりしていませんか。また、仕事にまつわる概念にはお金というものがセットでついてきます。

一方で、暮らしという概念には、お金がセットで必ずしもついてきません。子供と過ごす時間や、自分で育てた食べ物、友人が自分のために作詞作曲してくれた曲などはお金とセットになりにくいように思います。また、お米やガソリン、ビールなどは生活で身近なところにありますが、お金とセットになっています。一方で、オーガニックな野菜、家事労働など一部お金とセットで交換可能なものもだんだん出てきていると思います。

さて、仕事とお金と暮らしについて、考えていくうえでもう一つキーとなる概念があります。生産と消費の間の中間にあるもの(Intermediation)です。商取引されるすべてのモノやサービスの間に、加工する人がいたり、輸送する人がいたり、サービスにおいては、プラットフォームが存在します。

近代以前を考えると、グローバルなものやサービスの移動というものは、今ほど幅を占めていなかったように思います。交易というのは特殊な産業で、食料や嗜好品、サービスは地域内の経済圏で存在していました。暮らしを成り立たせるものが地域内で循環するのであれば、必然的に仕事も地球の裏側の人に向けて作る何かのどこかの部分、のような成り立ち方ではなくなります。

現在の仕事と暮らしを見てみると、身の回りのものがグローバルなIntermediationの階層の中に存在しています。スーパーに行けばオーストラリアから来た牛肉や、モーリタニアから来たタコ、南アフリカで加工されたジャム、シベリアから来たサケなど普通に目にします。ホームセンターでは、熱帯のフィリピンやパプアニューギニアの木がコンパネになっていたり、北米の木なんかが売られていたりします。携帯や車なんかは部品が多い分、より複雑なレイヤーの上で成り立っていますし、そのことによって多くの仕事が作られています。

このような現代は、すべてハッピーというわけでなく、大量消費、大量生産の文化を生み出し、いろいろな問題を引き起こしていることは自明のことですが、近代以前の文化に帰ることは現実的な選択ではないですし、現代が問題だからといって、昔が必ずしも良かったかというと、そうでもないと思います。数々の文明が表土収奪による砂漠化を越したことや、森を切りつくしほろんだイースター島などのことは、歴史中にも見出すことができます。では、どのような個人の暮らしを、未来を作っていけばいいのかということに、DIY,DIO,というキーワードがあります。

DIYは、Do it your selfといいリノベーションしたり小屋を建てたり、野菜を自分で作ったりと自給自足のようなイメージがあると思いますが、DIOは、Do it our self といい一人ではなくともに作り出すというイメージです。私たちの暮らし、衣食住、子育て、娯楽、サービスは直接的な取引がなされておらず、そこにコストも乗っかっています。

直接的な取引を考えると、やはり距離がネックで、そこから地域のコミュニティというものは一つの尺度となります。たくさんのお金を稼ぐという事よりも、地域内のコミュニティで自分たちの暮らしに必要な食べ物や子育てにかかわること等の仕事を作ることによって、冒頭で述べたような仕事が直接的に自分の生活を豊かにしていきます。また、仕事と暮らしの境界があいまいになれば、仕事と子育てと家族と過ごすことと遊びが一つの時間や空間の中で混ざっていくこともあるでしょう。

一方で、お金ですべてを賄おうとしたときに、だんだんとその生活の質がお金で買えない部分で下がることや、お金持ちでなければアクセスできないサービス(安心できる食べ物やベビーシッターさんなど)が出てきてしまいますし、町が安心できる空間であることや、丁寧に守られた自然や場所があること、質の高い人間関係などDIOが担える部分は、苦手とするところでしょう。

時にパーマカルチャーの目指すのは百姓といわれたりもします。自給自足の暮らしをするために衣食住全部作れるような自己完結した仕事ですね。しかし、このような前提の元で、地域内の仕事と暮らしを考えると、 Retro Suburbiaにおいては百一姓という形で地域内での自分の唯一の役割を探っていく形が提案されています。食べ物の生産や加工、行商や、直接取引ができるマーケットや、人のケアをする人や、教育者などはコミュニティの中に必要で、個人でもできると例に挙げられており、そういうコミュニティの中で必要かつ熟練の必要な仕事を身に着けることが、DIOにつながるのではないでしょうか。

世界はより不確実になってゆき、災害も多発し、人々の孤独や分断は深刻になってきます。その中では、お金のために人から言われて行う仕事よりも、自分が情熱を傾け、失敗してもあきらめずに挑戦できるような仕事をすることこそが、VOCA時代を乗り越えて持続してゆく取り組みになりやすいとも考えられるでしょう。

また、私たちの暮らしは生産と消費の中間にあるものがたくさんあることによって、より安く、便利になったように思えていましたが、震災をへてそれらの暮らしというものが思った以上に脆弱で壊れやすく、そうなったときに協力できるコミュニティもモノも手元にないという感覚を味わった人は特に都市部では少なくなかったと思います。

また反動で社会を信頼できず、仕事を辞めて自由さや気楽さを求めて自分で何かを始めた人や、地方に移住するムーブメントもあったと思いますが、もしその人たちが変化を起こしたはずなのに、何か本質的な感覚のずれがあるのだとすると、経済的なことや地理的なことが問題の本質なのではなく、非経済的な部分も含めて、自分の暮らしを自分たちで作る-Grow our ownということかもしれません。

フリーランス、専業で活動していますが、パーマカルチャーの記事、書き物等、基本的に無料で公開しています。仕事に充てられる時間を削って執筆しているので、もし、活動に心を動かされた方がいたら、1000円から7000円のスケール型のドネーションでご支援いただけたらとても嬉しいです。