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何故「馬鹿と天才は紙一重」なのか?/「センス」で確かめる最短距離

本稿について

・本稿は自著「センスを狂わせる無責任な“アドバイス”」(URL:https://kakuyomu.jp/works/16816700425991795443)を、具体例と共に更に掘り下げていくものです。
・世の中にありがちな問題や、自らの実力を伸ばすための方法論などを「センス」論を用いて自分なりに解説していきます。
・各項で一応解説はしますが、上記の創作論も合わせてお読みいただくことを推奨いたします。

更新について

・不定期です。
・月曜日の6時に公開予定です。

本文

 おはようございます。こんな挨拶で始まる文章を書くことって実はなかなか無いんですよね。何分生活が夜型なもので。

 この記事は朝に投稿される予定になっているので、この挨拶でいいんですよね。その時間に自分が起きているかどうかは別として。


 さて、本題に入ります。今回は前回とは違って、自らを高めるとかそういうお話ではなくて、「世間にある様々な事象を「センス」で切っていこう」っていう内容です。今回のテーマは「馬鹿と天才は紙一重」というこの言葉について。

 これが真実なのかどうかはともかくとして、結構「天才のなすことは分からない」という話はあると思うんです。凄い画家が死後になってようやく評価されるというのもそれ。

 得てして時代の中で飛びぬけている人間と言うのは評価されないものなのですが、これと「馬鹿」が一緒くたにされがちなのはどうしてなのかということなのです。

 これ、実は「センス」で考えていけば凄く簡単で、世に言う「天才」っていうのは「センス」が高い人間なんです。この人の持っている「センス」を仮に「10」だとしましょう。もちろん10段階評価です。

 で、世間一般的な「センス」の中央値は恐らく「6」くらいなんですよ。だからこのあたりに属している人がどのジャンルでも圧倒的に多いと思っていただけるといいんですけど、要は「馬鹿」って、その「センス」が「2」とかその辺なんですよ。要は。

 鋭い人はもうお分かりかもしれませんが、この三者の「センス」は数字で言うとそれぞれ「4」づつ離れています。

 つまり、世の一般的な人間の「センス」からは「馬鹿」と「天才」の「センス」は等しく遠いのです。

 そして、人間と言うのは恐らく「センス」が近しい人間と共感をするのだと思います。なので、等しく遠い「センス」を持っている人間は同じに見え、「馬鹿と天才は紙一重」になってしまうのです。

 ここから、一つの仮説が生まれます。

 「センス」を見出せる人間は「センス」が高いのではないか?ということです。

 良く「作家のオススメが優れているとは限らない」という話を聞くと思いますが、あれは単純に「作品の質」と「センス」が必ずしも完全相関していないからなのです。

 漫画であれば絵が上手いことに加え、コマ割りの見せ方やシナリオ、更には連載作家であれば、それをこなす能力が求められます。

 このあたり自分が「連載という形式は創作の質を高めるのに向いていない」と言う理由にもなるのですが、それらの相互内が「作品」として表に出てくるので、「センス」自体はまあまあ、という可能性もなくはないのです。

 加えて「作家」と「センス」が遠い場合は、当然そのオススメは当たりにくいです。

 当然ですよね。だって、「遠い「センス」とは共感出来ない」のですから。だから「馬鹿と天才は紙一重」になるのです。

 なので、もし「この人のオススメは当たる!」という人がいれば、その人はきっと近しい「センス」の持ち主です。仲良くなれる可能性も高いのではないかと思います。

 なんか恋愛とかにも応用できそうですね、これ。


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