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月無き夜の小夜曲(セレナーデ)/7.そして僕と君は出会った。

本編

 瞬間。

 椅子を動かしたときにどこか触ったのか、PCが動き出す。どうやらスリープ状態になっていただけらしい。やがて、真っ暗になっていた画面が明るくなり、PCのデスクトップを映し出す、はずだった。

「……そっか。頑張ってたんだね」

 そう言うと辻堂(つじどう)は目を細め、部屋の奥へと進んでいく。どうやらベッドに置いてある毛布を取りたいらしい。

 そんな中、日向(ひなた)はPCの画面──もっと言うと、その周辺の光景から目が離せなかった。

 トリプルディスプレイになっている画面の一つはインターネットのブラウザが開いていた。タブの多さを見る限り、なんかしらの調べものをしていたのだろう。

 もう一つは……なんだろう。遠目からだと見えづらいが、文字が並んでいる。恐らくは何かのメモだと思われる。

 そして、最後の一つ。真ん中に据えられたディスプレイに表示されていたのはワープロソフトだ。そのタイトルは「無題」。新規に作成したファイルならもう少し長い名前がついているはずなので、わざとつけたのだろう。意味は分からない。

 ただ、そのタイトルを証明するかのように、文章はほとんど書かれていなかった。たったの数行。恐らく会話文と思われる。ヒロインと、主人公のものだろうか。これだけでは一体何の一文なのかは推察出来ない。

 ここまでに見た光景は、いずれも日向にとっては大きなものである。辻堂の言葉を信じるならば、これらは全て逢初遥が書いた文章であり、ファンというよりも半ば信者のような状態の日向からしてみれば、まさに垂涎の的であるのは間違いない。本来ならばしゃぶりつくすように読んでいてもいいはずなのだ。

 しかし、日向はそれをしなかった。

 なぜか。

 答えはまさに目の前で寝息を立てていた。

「くー…………ううん…………これじゃ、だめ」

 なんの夢を見ているのかは分からない。ただ、その表情と体勢からしてあまりいい夢でないことは理解できた。

 声の主からすれば大分大き目のゲーミングチェアにも関わらず、体を伸ばさず、縮こまって、丸まるような形で眠りについていた。最初からそうだったかは分からない。

 ただ、この手の椅子は背もたれの角度をある程度動かすことが出来る。それが座るのに適した状態になっているということは、眠さに耐えきれず、椅子の角度を直すのも面倒で、そのまま眠りに入ったと思われる。この丸まった、いかにも眠りにくそうな体勢で。

 だが。

 そんなことよりも重要なのは。

「……マジ、か」

 驚いた。

 驚き過ぎた。

 あまりの出来事に番組《チャンネル》の維持が出来なかった。

 もちろん、あらゆる可能性は想定していたはずである。

 辻堂の話ぶりを考えれば、日向よりもはるかに年上ということは考えにくい。彼女の年齢は分からないが、恐らくは日向より一回り年上と思われるし、遥の年齢もまた、恐らくは日向と同年代。もし日向よりも年上だったとしても、せいぜい数年程度のものだろう。そんな風な予想は立てていた。

 でも、

「女の子……」

 流石に、自分よりも年下の女の子という可能性はほとんどゴミ箱に捨てていた。

 丸まっているので分かりにくいが、身長は恐らく150cmくらい。体形も華奢なので、下手をすると中学生に見えなくもない。

 小さな三つ編みと、その先にあるリボン以外は一切飾り気のない長い黒髪は、手入れをしているとは思えないのに流れるように綺麗だ。

 目をつぶった状態でもはっきりと分かるくらい整った顔立ちを含め、総じてお人形さんのような「美少女」と言って差し支えない、立派な女の子だった。

 着ているものがジャージなのが残念だが、綺麗に着飾れば、きっとモテるに違いない。

「あったあった……せめて毛布はかけてって言ってるのに……少年?」

 毛布を探し出した辻堂が戻ってくる。だが、日向の意識は既にそこにはない。

(これが……彼女が……逢初遥……あの『月と天使とメイド服』の作者……)

 日向の視線は今、目の前で夢の世界を旅している少女──逢初遥(二宮月乃)に向けられている。それ以外の情報は一切、頭に入ってこない。

 芸術品のような黒髪が、嘘のように長いまつ毛が、作り物のように整った顔立ちが、可愛らしい体つきが、一滴となって、乾ききった日向の心に潤いを与える。干からびていた感情が息を吹き返す。早くなる鼓動が驚くほど鮮明に耳に響く。それ以外に聞こえるものと言えば目の前にいる彼女の寝息位のもので、

「逢初……遥」

 本来ならば出会うはずの無かった相手。それが今、日向の目の前にいる。
 止まっていた時が、動き出した。そんな、気がした。


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