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考えすぎ変身日記③ ぶっ生き返す

さて、退院から3日たった。
綿球生活は続いている。息苦しい。鼻はかめるようになったぞ。
相変わらず夢は見るけど、眠りはどうかな?
質は上がったのだろうか?
入院中のように、決まった時間に目は覚める。
今日の朝はダラダラしてしまったので、リズムは崩れないようにしたい。

食生活はどうかな?
病院食に比べてどうしてもカロリーと塩分摂取量が多くなっていそうだ。
外食すると出てくる量がすごい。
今のところまだ禁酒も続いているので、どうしようか…
一応酒解禁日は4月16日(術後2週間)


そいで思いとしては「何か仕事しなきゃ」というところ。
帰国してからもうすぐ3ヶ月になる。
何かやりたいこと…やっぱり旅行に関することだよなぁ、と思いながら。
最近知り合う人が「前にゲストハウスをやっていた」「実家が下宿屋だった」というワードをちらほら聞くようになった。
ゲストハウスの求人、たまに出てくるけどまた若い人が対象かしら…
いやいやでも数を打ってみろ、と自分を鼓舞して応募してみた。
観光タクシーの求人もあるなぁ…
LAの高田さんみたいになれるといいなぁ…考えるとワクワクする。
ワクワクする方に生きていきたい。


昨日風呂に入りながらいつもの「となりの雑談」を聞いていた。
「自分が幸せになってもいいという考えの選択肢が無い人の話」だった。
会話に出てきたのはスーさんの友だちで大事にしてくれない男と付き合っていた人の話。
「どうして大事にしてくれない人を選ぶの?」とストレートにその友人に質問したら泣いてしまった、と。
あーすごいわかるなぁ。「大事にしてくれない人を選んでいる」という本人の自覚は無いんだよなぁ。以前の私もそうだったと思う。その価値観が当たり前で、吸い寄せるし吸い寄せられる、と。
会話の流れでサクちゃんが、「良いものを選んでいいと思ってないんだよ、たぶん」と言ったことがこれまた胸に刺さった(いつも刺さりすぎ)

サクちゃんの経験談として、「大事にされる、尊重されることが当たり前じゃない環境で育った場合、それが分からない」
「環境が劣悪だったり大変な中でも、その環境のちょっとでも良いところを見つけられちゃう自分がいた(悪いものにわざわざ行ってる)」
「意志を持って自分で選ぶなら悪いものは選ばないけど、困難を乗り越えることが自分の課題・人生の宿命・それぐらい乗り越えないと自分の存在価値が出ないという考えだと、断る、縁を切るということをせず、しんどい方を選びに行ってしまう」


仕事について、療育は天職で、療育に関する話が2年離れた今でも縁が切れずに周りにずっとある、というのは正直嬉しかった。
今この状況で、全然行動していないからまだ新しい道が開けず、もしダメならキャリアもある福祉職に「いつか戻ればいいや」と考え、甘えている自分がいる。
でもたぶん引っかかる思いもある。「やりたいことをやれているか?」という思い。


最近、意識しているからか、自分に刺さることばが多い。
鬱の本を出した点滅社さんの
「10代の頃どうしてもできなかったことを今やることで、あの頃の自分を助けようとしているところがある。見ていてね。おまえの夢はおれが叶える」
わあああああ。すごい。これやりたい、と思った。
これは、保育士をやってみて発達心理にたどり着いて、アダルトチルドレンだと気づき、自分を取り戻す作業をしてきた今までの葛藤も同じことだな、と思った。


アタシは何をやるにも気づくのと行動が遅いな、という反省がある。
恋愛だって怖くて出来ない、本当の思いを言うのが怖かった、留学もみんな若い頃にしてるよなぁ、とか。
あーでもこれも人と比べてるからこの考えになるのだな。
自分の歴史を見ると、自分のペースで変化は確実にしてきている、おおいいぞ自分。


「良いものを選んでいいと思ってない」が刺さったのは、
以前千葉の友だちと自分の仕事の話した時に「みやちゃんこれからはもっと楽しいことしなよ」と言われたのが心に引っかかっているからだ。
「なんでその時そう言ったのか覚えてる?」とこないだ聞いたら、
「みやちゃんが仕事を通して自分の辛かったことを常に思い出しているというか、人の役に立つために自分がしんどいんじゃないかと思った。自分の過去を忘れるのは無理だとしても、これからの人生前を向いて生活していくには、あまり良くないんじゃないかと思った」と返事が来た。
別の友だちにも同じことを言われたことがあった。
「仕事の話をしているみやは辛そうだ」と。


今まで、仕事を「楽しい」と感じ、意気揚々と周りに話していたと自分では感じていた。
でも客観的な意見はまた別の角度だった。
確かにサクちゃんの「困難を乗り越えてこそ自分の価値がある理論」でいくと、「仕事を通して過去の自分に気づき向き合うきっかけとなった。ハードな生育環境とパニック障害の経験のある自分が語れることはあるから、利用者の励みになるはず」「過去の自分の二の舞いになる子をつくらないのが自分の使命」なんて思っていたし、思っている。
あれ?なんておこがましいのか。なんとだいそれた、勘違い野郎なのか。
結局、他者を通して過去と今の自分を救いたい気持ちが根っこにあるんだろうし、思い入れが強くなるのはこの理由だからなのか、とも思う。
そしてやはり、手っ取り早く承認欲求と愛着が満たされる仕事。


「もう今まで十分頑張ったんだから、この後は自分のために幸せになりなよ」と。
福祉にしがみつくのをやめ、今までと違う道を選んで挑戦した時、自分はどう思うだろうか?
あれ?福祉の仕事って給料安くて大事にしてくれないかも(笑)あら


社会に出ても幼かった自分が福祉の仕事を通して、子どもたち・親御さんたち・職場の仲間に本当に育てられたと思った。心理学に触れた事はさらに自分の人生を変え、認知はずいぶん変化してきていると実感している。
なんかやっと、自己実現のスタートラインに立った感じかな?


そうか、これからは「ぶっ生き返す」のか。
2022年8月から自分のやりたいことをやってきた。
選択肢は多い、恵まれた環境だと思う。
残りの人生をどう生きようか。


ってまた考えすぎているな。適当に。

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