センチメンタル留学記⑤

すごい、感情体験が止まらない。
いやもともと感受性が強いのは分かっていたけども。
それが分かっていたから幼い頃からあの家で生きるサバイバル技術を身につけてきたんだな。

今日はね近くにある教会に行ってみたんだ。
歩いて5分ぐらいのところにメソジスト派の教会があってどんなもんか行ってみた。ゴスペルを聴きたかったので。


海外での礼拝は初めてだった。
ゴスペルを歌っていたので、日本の礼拝は知っていたけど。
流れは知っている感じだった。
英語も頑張って聞いてみる。ゴスペルを読み上げる所からすんごいなんか泣けてきた。
神聖な雰囲気も手伝って、泣くのが止まらず。
アタシずっと泣きたかったんだ(ドリカム)
この一週間で感じていた寂しさも相まって、思いが溜まっていたのもあったけど、
なんだか17年歌ってきたゴスペルがこんなところで繋がるのかという思いと、
6月に亡くなった英語の先生がクリスチャンで、彼女の旦那さんが亡くなった時に神様に救われたと言っていたのを思い出し、「ひろみ先生はこんなふうに救われたと思ったのかな」と思うとますます泣けてきた。アタシがロサンゼルスに行けた時も喜んでくれていたのを思うと、「先生アタシ今ニュジーランドにいるさ」と思って。
いや、勝手に考え過ぎて一人孤独になって悲しかった思いも強いけど、出発前から思っていた「自分以外、自分の周りの人全員が自分をこんなにも応援してくれている感」がひしひしと伝わって嬉しかったので、ここ2週間程なんだか嬉しくて泣けてくるのだ。そんで現に今海外にいるのが嬉しいと思って。ほんと、自分が一番自分にブレーキを掛けているな。傷つかないように、なのだとつくづく思った。

いや、情緒よ。

礼拝の途中で周りの人とハグする時間があり、来てくれたマレーシア人の方が心配して話しかけてくれた(泣きすぎ)
優しくされると泣きたくなる(古内東子)
礼拝後のお茶会にも誘ってくれて、お昼ごはんぐらいたくさんごちそうになって腹パンパン。ジーザスありがとう。クワイアのことを聞いてみたら、来週詳しい人が来るから来週また来なさいということになった。
そんでマレーシア方が「困ったらいつでも電話しといで」と電話番号まで教えてくれた。おおなんという気持ち。リムさんありがとう。


その後買い物へ。
そこでもまた自分に気付かされる。
お店ですれ違う二人連れの人を見る度にいちいち傷ついている自分がいる。「彼らに比べてアタシは一人だ」と。
ほんと、面倒くさいぐらいいちいち傷ついているのだ。隣の芝生が青く見えまくるのだ。わー本当に人と比べるなあ。びっくりだ。
すべてを生育歴の所為にしたくはないが、どうしても根っこはそこに繋がってしまう。仲の良い関係性や家族に憧れ、枯渇しているのだ。私はどこにも所属していない、と。いや自分で選んどるがな。本当に呪いだよね。払拭するのが大変。

よく仕事で「人と比べたらきりがないからやめなよ」なんて偉そうに他者に言ってた自分がめっちゃ他人と比べて劣等感に苛まれている。あーめんどくせぇな。
あとね、通りすがりに周りの人が笑っていたりすると「アタシのことで笑ってるのかな?」といちいち感じる自分もいた。
となりの雑談にも出てきた話にそっくりだ!
こんな自分に気付かされた。
やはりこれも過緊張、防衛体制に入っている証拠。わぁ、知らなかった。いや、以前からあったけど、浮き彫りになっただけかもしれない。


オークランドの図書館で発見した、ずっと探していた幡野広志さんの本を借りてきて読んでいるんだけど、すんごい心に刺さる。
「自分から人を好きにならないと、好きになってもらえない。」→サクッ!(心に刺さった音)自分の第六感とか言って理由をつけて、人をより好みしていただけ。結局自分の思うような反応が来なかった時に自分が傷つかないようにしていただけ。人がつるんでるのを単に羨ましがってるだけ。勇気が出ないのよね。
「育った環境が複雑だと人や自分を分析しがちだし、得意」→サクッその通りすぎる。

感情が溢れすぎて、書きたいことが次から次に出てきて、書いていることが重複してるかもしれない

となりの雑談からは「社会はそんな構えて挑むような環境じゃない、思うように行かないこともあるけどいろんな人がいて思うように行くこともある。そういうものだと知ることが必要」→サクッその通り、自分の思い通りの反応が返って来ない人はアタシの事が嫌いなんだとか、分かってくれようとしないんだという思い込み。人の価値観は多種多様なんだから、そんなの当たり前。◯か✘か、0か100かで判断しすぎ、✘の時に落ち込みすぎる。そもそもジャッジしすぎ。
結局まだまだカッコつけたいのだ。素直になれよ自分。バシバシ。


この先もまた別の自分が分かりそうだ。
分かった今からどう行動するかだ。少なくとも私は変わりたいんだ。
変わる時には苦しみや辛さを伴う。
母と人生で初めてぶつかった時がそうだった。でもあのおかげで人生が200度ぐらい変わったと思っている。
変わった結果、アタシは今ニュージーランドにいるんだから。
すごいやん自分、やるやん自分。
すこしずつ自己肯定も本当に出来るようになってきた。
いいぞ。


明日にはまた落ち込むかもしれないけど、それも自分。
人には人のタイミングがあり、自分の人生は今だっただけ。死ぬまでに気づいたり出来てよかった。ほんとに、比べるものじゃない。比べるというのはキリがない。おお、自分セラピー。
そして46歳のキキな。ウフフ。落ち込むこともあるけれど、この環境は好きだ。トイレやお店に入ると匂いが「ああ海外にいるな」って感じてニヤつく。相変わらずこの寒いのに半袖ハーパンなんなら裸足で歩いてる人もいたり、「自然を大事に」って看板あるけどゴミひどいし、坂道を颯爽と走れる電動スクーターボードも乗り捨てられてるし、そのヘルメットも捨ててあるし。「いやなんで!」といちいち突っ込むのが楽しい。矛盾が面白いなぁ。


今日はやっぱりセンチメンタルだ。さっき夕日が綺麗で、別のフロアからデカめのフォークソングが流れてきてなんだか涙。おばちゃんだから涙腺ゆるくなってんだろうな。これも生きてなきゃ出来ない経験だ。生きていてよかった。


明日は誰と話そうかな。

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