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隠して生きるということ

病気を隠して生きるということは病そのものとの闘いの他に、
世間を欺き続けるという闘いがあると思う。

私は病気になった同僚に対する 他の同僚の態度にショックを受けた結果、
「自分が精神障害になっても、絶対にバレてはいけない」と
心に決めていた。

「絶対」というのは私にとってはこの世に中々ない、非常に強い言葉だ。

だからうつ病になってからは細心の注意を払って
バレないように振る舞った。
相談した医療者にも家族にも友人にも
バレないようにした方が良いと言われたし・・・。

受診は県外。
だって、働いている病院の医局と同じ医局の先生にかかっていたら、
先生同士の勉強会や飲み会の時に
「そういえば、君の病院の看護師さんがうちにかかってるよ」とか
言われるかもしれない。
医師にも看護師にも守秘義務はあるけど、絶対って無いもの(あくまで個人の意見です)。

お薬手帳は作らない。
職場で万が一の時の事が起こった時、何を内服しているか見られたら
バレてしまうから。

他科受診した際、既往歴にうつ病とは書かない。
現在内服中のお薬欄にも「無し」と記入。
どこからバレるかわからないし、飲み合わせは自分で調べれば良いと
思っていたし。

仕事では隙を作らない。
なぜって、病気になった同僚は成功も失敗も全て病気のせいにされたから。
そんなのおかしい。全部が病気って訳じゃ無いのに。
確かに、どこからが病気でどこまでが正常かって誰にもわからない
だろうけど。
でも、周囲の言い方は「全て病気のせい」だった。そこに腹が立った。
だから私はそんなこと言われないように、いずれバレた時でも
「いいえ、アレは正真正銘、全て私自身の失敗です」
って言うために隙を作らないようにしなきゃって思っていた。

調子を崩さないように。
当たり前だけど、調子を崩して仕事に支障が出たらバレてしまうので。
崩しそうになったらしわ寄せは全て私生活に持って行く。
もう、何もしないでとにかく寝る。
片付けない。洗濯しない。自炊しない。掃除しない。お風呂に入らない。
外出しない。娯楽?とんでもない。
仕事に支障をきたさないために不調に繋がるものは全て排除の生活だった。

病気には波があるものだし、人間だから羽目を外したくなるときもある。
だから一本調子にはいかない。だから毎日が闘い。
今日はバレなかったか。失敗は無かったか。明日は上手くいきそうか・・・。

嘘はしんどい。嘘は辛い。嘘には嘘しか重ねられない。
私の病気を知っているのはほんの数人だけ、
しかも遠くに住んでいるからそんなに相談できない。
相手にも生活があるしね。
だからひたすら一人で抱え込む。誰にもタイムリーに相談できない。
できるだけ心配かけたくない。迷惑かけたくない。
たまに電話をかけると爆発しちゃって長電話。切った後大後悔したりして。

そんなこんなしながらでも、
私は社会の役割を果たしてきたはずなんだけどな・・・。
なんなら、成果も出してきたはずなんだけどな・・・いや、自己満足ではなく、他者評価としてね。
どうして隠してなきゃダメな社会なんだろう。
私も含め精神医療業界は、そういう社会を変えていこうと啓蒙してきた数十年じゃなかったのかな。

今から思うと病が寛解していた頃、矛盾を感じて葛藤していたものだ。
「啓蒙するべき自分がどうしてカミングアウトしていないのだろう。もし今の自分がカミングアウトすれば、うつ病でもこれだけ回復できる、成果が出せるって同じ病の方たちに希望を示せるかも知れないのに」と。

隠し続けて数十年。
お陰様でカミングアウトした元同僚にも、未だに家族にも
「病気に見えない」と言われるけど、
本当に疲れちゃったなあ。年齢の何倍も生きてきた気分だ。

仕事を辞めて、この数年色んな受診先で
「私、うつ病なんです」と報告する。
少し勇気が必要だけど、言った後の楽なこと楽なこと。
自分が心配するほど気に留められない。

まだ、どこでもカミングアウトできるわけではないのだけれど、
最近叶恭子さんの話を聞いてああそうかと思った。
安心できるところから伝えていけばいいんだと。

最後に・・・
読者の皆さん。
どうか、「医療者の守秘義務は信頼できないんだ!」とは
思わないでください。
そうではなくて、私の恐怖心が無茶苦茶強かったんです。
精神看護に携わる者として、私自身が精神障がい者であったら
業界から排除されてしまうのではないかという恐怖心が。
私は精神看護が大好きだから、そこから引き離されるのが
とても怖かったのです。
医療者にも精神障がい者に対する偏見はあります。
でも、そんな人ばかりではありません。
それは一般の人と同じです。

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