見出し画像

「病気には見えない」は誉め言葉なのか?

今朝の情報番組で、今日は雅子さまのお誕生日だと知った。

一連の即位の行事を神妙な面持ちでこなされる様子、沿道の声援に笑顔で手を振られる様子が繰り返し映し出され、司会者が「雅子さまは今でも体調の波があるそうですが、とてもそんな風には見えませんねぇ。」と言っていた。

とてもお元気そうに見えて何より、という前向きな発言だったのだと思う。でも、同じような言葉を日常投げかけられている私にはとても引っかかるものがあった。

体調の波があるようには見えない。それは、元気に(普通に)見せるためにものすごい頑張ってるからだと私は想像する。私がそうだから。

精神障害は外からは分からないことが多い。私も発達障害や双極性障害などがあるが、本当に調子の悪いときはそもそも人前に出られないし、人前に出られるぐらい「マシ」な状態の時であっても、健康なわけでも元気なわけでも治ったわけでもない。それでも、人と会うときはなんとか元気に(普通に)見せようと、それはそれは頑張っているのだ。

それを、私のマシな時しか見ていない人は「あなたは見た目本当に普通で、どこが悪いのか分からない」「発達障害があるなんて思えない」「元気そうで安心した」などと言ってくれるのだ。

そう言われるたび、私は心のシャッターを下ろしてきた。もちろん、「調子悪そうだね」「いかにも病気だね」と言ってほしいわけではない。ただ、すごい努力をして普通に見せているのを、元気そうだの、どこも悪そうにないだのと言われると、やっぱり人には自分のしんどさは分からないよな、この人と関わっても空しいだけだな、と思ってしまう。

会うたびになぜか「元気になってよかったね」と言ってくれる近所のおばあちゃんがいた。「どこが?」と思いつつも、人に合わせてしまう私は「はいお陰さまで」などと言って歯を見せてニカッと笑っていた。元気になってよかったと繰り返し言えば本当に元気になるというおまじないかな?そのおばあちゃんのやさしさだと思いつつも、そのやり取りがものすごく負担だった。

私は適応障害ではないが、雅子さまがどれほどの気力を出して一連の行事をこなされたかを想像する。私のささいな日常だって、絶不調の時にどうしても参加しなければいけない親戚の集まりがあり、フラフラになるぐらい頓服を飲んで何とか参加し、途中トイレで号泣する、なんてこともあった。

今回ニュースを見ていたら、いろんな行事やらパレードやら、伊勢や京都や奈良とあちこちに泊まりで出かけられている。どんなにかしんどかっただろう。頓服を大量に飲んで行事をこなし、宿泊施設に帰ったら大泣きされているんじゃないか。そんなことを想像した。

「とても病気には見えない」は、精神病患者にとっては誉め言葉ではない、と私は個人的に思っている。そう言われることで傷つく精神病患者は私だけではないのではないか。

ではどう言ってほしいのかは、きっと人によって違うと思うけれど、「元気そうだね」と言って相手を持ち上げた気になるのではなく、せめて「今日はどう?」と寄り添ってもらえたらとても嬉しいと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?