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結婚していない理由を求められても……。「未婚・子なしコンプレックス」その後 

世の中は変わった。では、私は……。

私自身の、未婚・子なしコンプレックスについて書いた
「42歳で独身、子どもはいない。隠しきれなくなったコンプレックスと向き合った」。

このコラムを書いたのは、2019年7月のことでした。
かれこれ、5年近くが経ち、私は今年、47歳になります。
年は重ねましたが、未婚・子なしであることは変わっていません。

変わったのは、世の中やメディアで、未婚や子どもがいない人たちの想いや暮らしについて取り上げる記事やコンテンツが増えたように思います。
(もしかしたら、前から世の中やメディアで未婚・子なしのコンテンツが存在していたけれど、私自身がこのコンプレックスを自覚するようになるまで気づかなかっただけかもしれませんが……。)

そんなコンテンツを横目で見ながら、5年。
この5年の間、世の中やメディアは変わっているようだけれど、私自身は?と思う機会も増えました。
メディアで取り上げられているものを見ては
「みんなはそうだんだ……」
と、どこか冷めた目で見ているようなところがありました。
それはたぶん、なんとなく、そういったコンテンツに違和感を抱いていたからなのかもしれません。

その違和感はどこからくるのだろう……。
その正体を探るために、あれから5年経った、いまの私、「未婚・子なしコンプレックス その後」をつづりたいと思います。

相変わらず、結婚しないとは決めていない

改めて、私の現状を。
未婚・子なし。
これは、現在も変わっていません。

5年前の私は、こんな風に書いています。

結婚しないと決めたことは一度もありません。子どももできればほしいと思っていました。

「42歳で独身、子どもはいない。隠しきれなくなったコンプレックスと向き合った」

いま、私は結婚しないと決めていません。これまでの46年生きてきて、結婚しないと決めたことは一度もありません。

子どもについては、いまでも欲しいと思っているけれど、年齢を考えると現実的ではないので、「産みたかったな」「子どもを育てたかったな」という淋しさを抱えながら生きているのが、いまの私です。

そして5年前、こうも書いています。

42年間、生きていくことを積み重ねていった結果、自然とこうなっていただけなんだよな、と。

「42歳で独身、子どもはいない。隠しきれなくなったコンプレックスと向き合った」

これもあまり変化がなく、42歳から今日まで、1日1日を一生懸命生きて積み重ねた結果、46歳のいまも未婚なだけなんだよな、と思っています。
この5年の間に恋愛もしたし、パートナーもいたし、一緒に暮らした時期もありました。
でも、結婚はしていません。
子どももいません。

そう、私は明確な理由とか信条があって、結婚していないわけではないのです。先日、旧Twitterで「未婚」と「非婚」は違うと議論になっていたのを見かけましたが、私にとって両者の違いはそれほど意味はありません。
なぜなら、私は「結婚していない」状態にあるだけで、結婚しないぞと決めているわけでも、もう結婚しないのだろうなと思っているわけでもないからです。

ただただ生きてきた結果に「理由」を求められる

これだ!
社会やメディアで注目されている「未婚」「子なし」の女性を取り上げたコンテンツに、私が違和感を抱く理由は、と思いいたりました。

コンテンツに触れるたび、「未婚だったり、子なしだったりする人」としてメディアに取り上げられている人たちは、いろいろな意味で「特別」な人が多いように感じられて仕方ないのです。

たとえば、ご自身の生い立ち。
それまでの人生の中で、ご両親や周囲の環境の影響から、結婚をしたいと思えなくなってしまった方もいます。
私はどちらかといえば、結婚を楽しんでいる人たちが周囲に多く(両親を除いて)、どちらかといえば「結婚したい」と思える環境にいました。

経済問題。
お金がなくて、なにかとお金がかかる結婚をすることは難しいという人も、私の年代の方はたくさんいらっしゃると思います。
そんななか、決して余裕はないけれど、結婚できないと考えなければならないほどの経済状況ではありません。
私には当てはまる理由ではありません。

子ども。
日本において結婚をするということは、女性にとって人生に「出産」「子育て」という大きなライフワークが組み込まれることを意味します。
したがって、子どもを望まないから結婚しないという方は一定数、確実にいらっしゃいます。
私は、どちらかというと、出産も子育ても人生において経験したいと考えていたので、これも、結婚していない理由にはなりません。

男女の不平等。
残念ながら、日本はまだまだ男性と女性では生きるうえで「差別」が存在していると私は思っています。
それゆえ、結婚によって家事負担が増えたり、子育てにまつわるあれこれの負担、介護の負担などが男性よりも、女性に大きくのしかかるのが現状です。
それは、女性のキャリアに大きな影を落とします。
キャリアだけではありません。そもそも、なぜ「女性だから」といって、負担が大きくなるのか納得できないから、結婚に抵抗があるという方もいるでしょう。
私自身は、男女の間にある負担の偏りや差別、男性らしさ・女性らしさの強要などをなくしたいと思っている人間なので、たしかに結婚や出産によって起きるさまざまな事象における男女不平等は許せません。
でも、それゆえに結婚しない、出産しないとは思っていません。
だから、これも未だ独身でいる理由にはなりません。

そのほか、さまざまな理由で世の女性たちは結婚せず、出産をしないという現状がコンテンツとして、メディアで取り上げられています。

何度も申し上げますが、私は、明確な理由があって、結婚をしていないわけでも、出産しなかったわけではありません。
ただただ、一生懸命、瞬間瞬間を生きて、その積み重ねの結果、いまに至っているだけなのです。

結婚しないこと、出産しないことにも、理由がないとダメなのかな。
ただただ、生きている。それだけじゃダメなのかな。

未婚・子なしであることに、理由を求められても……。
メディアで、私と同じように「未婚」で「出産していない」女性にまつわるコンテンツを読むたびに、いつも、そんな風に思います。
ちょっと苦しくなります。
心がぎゅっとなります。

ただ生きていることに理由をもとめられるのは、苦しいものです。
結婚していない理由、子どもがいない理由を求められるのも、苦しいものです。
結婚していない、子どもがいない人生を、今この瞬間から、これから生きていくのです。そこに理由なんて、ありません。それが私、だからです。

特別な経験や意思、理由がなくても、私は私でいさせてください。
いいえ、誰かに「いさせてもら」わなくても、特別な経験や意思、理由がなくても、私は私なのです。

5年で変わったことも、ちゃんとあります

あ、そういえば変わったことがひとつありました。
周りの反応です。
もうアラフィフになった私に「結婚」や「出産」のことを言うのは酷だろうと思う方が増えたのでしょうか。
5年前にはまだ感じることのあった「結婚」や「出産」にまつわりプレッシャーはなくなりました。

ただ、なんて言うんでしょう。
哀れみというか、蔑みというか、「結婚できなかった・子どもを持てなかった“かわいそうな人”といったまなざしをされたり、暗にそういったニュアンスを帯びた言葉を差し出されることは増えたように思います。

なかには「もう出産はだめだと思うけれど、結婚はあきらめる必要ないよ」「まだ結婚はできるって」なんてことを言う人もいます。
そういうことじゃないんだよな、と思います
そういう意味で、コンプレックスは未だに刺激されつづけているといえるのかもしれません。

でも、「未婚」や「子なし」はそもそもコンプレックスなのかしら?
そんな風に思うように、私の心は少し様変わりしました。
「結婚できなかった・子どもを持てなかった“かわいそうな人”」として扱われるたびに、なんでか「かわいそう」と思われるんだろうと感じます。
私は私を一生懸命生きてきて、その結果、いまに至っているだけです(何度目だ、これ書くの)。
それを「かわいそう」と思われてもな。
私は私のこと、結構好きよ。私、頑張って生きてるなって思うよ。
いつも、そんな風に感じていました。

5年経てば、いろいろと変わります。
変わらないこともあります。
どんなに時間が経っても、変わらないのは、私は私だということです。

この先も結婚しない私で生きるのかもしれないし、誰かと出会うこともあるかもしれない。
奇跡的に妊娠する!なんてことが起きるかもしれません。
それでも、私は私です。
私は、私のこと、結構好きよと思いながら、瞬間を積み重ねて、これからも、私は私をつくっていきます。
たとえそれが、「未婚・子なし」の私でも。
「結婚してる・子なし」でも、また別の私でも……。

つぎは3年後、50歳になるときに、この「その後」を書いてみようかと思っています。
どんな私になっているんでしょう。
私自身が、いちばん、楽しみです、3年後の私。

「SOU.」という場所で

「未婚・子なし」問題にかかわらず、生きることに理由を求められて、存在意義を問われつづけて、苦しくなっている人は必ずいます。

理由がないから、理解されない。
理由がないから、メディアに取り上げられない。
理由がないから、その存在が無視される。
理由がないから、声が届かない。

メディアの役割も重要だけれど、メディアに取り上げられない声を無視していいという事は絶対にありえない。

だから私は、私のようにメディアが注目するような「特別な理由」がない人々の声をこれからも拾い続けていきたいと思っています、この「sou.」という場所で。


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