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それでも怒る人は幼いと思う

「あなたのためを思って怒ってるんだよ!」

この言葉が嫌いだった。

誰しも一度は耳にしたことがあるこの言葉。
親が子に、先生が生徒に、上司が部下に、、
まるで怒る方が正義で、怒られる方が悪かのように。

たしかに多くの場合、この”正義”と”悪”の構造は正しい。
理由なく怒る人は現実世界には少ない。
間違ったことをしたから、勉強しないから、仕事でミスをしたから、、

でも20年以上生きてきて気づいたことがある。
良くも悪くも、精神的に成熟した人は、”怒り”という感情と無縁になる。

まず始めに怒ることの無力さを実感するようになるのだ。

これは主観だが、20歳を超えた人の価値観を変えることは難しい。

高校を卒業して数年もすれば、その人の価値観はおおよそ固まる。
一度固まったその価値観は、周りの人の生死に関わるような出来事が起きない限り、そうそう変わらないというのが僕の持論だ。

ゆえに、1回怒られたくらいで、それが変わるなんて到底起き得ない。
一方、怒った方は「あれだけ言ったのに、、」という感情を経験するようになる。

そうしていくうちに、「なーんだ、これなら相手を変えるより自分が変わった方が早いじゃん!」といつしか気づき始める。

加えて、大人な人は”怒る”以外の方法を模索できるようになる。

そもそも”怒る”が発生するのは、基本的にパワーバランスが上の人から下の人に対してだ。
人は、自分よりも上の人に文句や愚痴は言えても、怒るまではできない。

怒る人というのは、そのパワーバランスに無意識に甘えているのだ。
だから冒頭の”あなたのために”といった言葉が出てくる。

怒るのは”あなたのため”ではなく、ただ単純に気分がすっきりするからだ。
純粋に”あなたのため”を想っているなら、他にも方法はあるじゃないか。

例えば、何が悪かったのかを一緒になって話し合い、ともに解決策を考える(諭すのも実は上から目線の方法なので、あくまで横に座ることが重要)。

大人な人は、その人の人間性ではなく、間違った行動そのものに焦点をあてて建設的に対話することができる。

そんな人もいる中、怒ることしか出来ない人が幼く見えるのは当たり前だ。
結局、怒っている人はあくまで自分視点に留まっているのだ。

とはいえ、「いやーでも怒らざるを得ないような人間性に問題がある人もいるじゃん?」という意見もあるだろう。

その通り。ただし、大人な人は、そういう人からは離れていく。

怒る代わりに丁寧な対話を目指す場合、一層頭と時間を使う。

だからこそ、そうまでして一緒にいたいと思える人とだけ関わるようになり、自ずと「人として自分と合わない」と感じた人とは離れていくのだ。

多少の過ちであれば、生きている限り誰しも半永久的に犯し続ける。
でも怒らない人の近くには、その人が怒るほどの過ちまでは犯さない良識ある人が集まるようになる。

怒る必要がある人が周りにいるというのは、その人自身がまだまだ大人ではないことの証明なのだ。

というわけで、僕は”それでも怒る人は幼いと思う” ‐QED‐

水無月 双

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