さよなら、ありのままの自分
ありのままのあなたは美しい。
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純真無垢な”ありのまま”という言葉。
人はありのままの自分でいたいと願い、自分がありのままでいられる関係性を理想とする。
でも現実世界の”ありのまま”は儚くて、脆くて、そして、危うい。
ありのままの自分は、その人にとっては価値があるものでも、他人にとっては無価値だから。
ありのままでいいのは、それが他人に求められる姿と一致している人だけであり、そんな人は滅多にいない。
「ありのままでいたい」には「ありのままでいたい(そして、そんな自分を受け入れてほしい)」というわがままが含まれている。
ありのままでいたいと願うなら、傷つけられ、皆に見放されても構わないという強い想いを持つべきだ、、、
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とまあここまではよく聞く話。
いわゆる「ありのままでいたいというのは甘え」という厳しいお言葉だ。
でも私は思う。
そこまでして守るほどの”ありのまま”って存在する?
というか、”ありのまま”でいるのって結構怖くない?
まず恒常的な”ありのまま”があるのかを確認してみる。
周りには無数の一人称。
わたし、おれ、ぼく、etc..
その全部が水無月双の一部。
サラリーマンとしての自分、友達としての自分、彼氏としての自分。
英語にしたら全部"I"。
だけどそこには、たくさんの自分が存在していて、ありのままの自分を見つけることは叶わなかった。
そして私は”ありのまま”でいることを怖いと感じる。
だって、”ありのまま”しかなかったら、誰かに否定されたときに自分の存在意義がなくなる気がするから。
怒られる、喧嘩する、陰口を言われる、誰しも経験するそんな衝突に毎回ありのままの自分で挑んでいては、とてもじゃないけど私の精神は持たない。
”ありのまま”が存在するかは分からない。
そして、”ありのまま”が傷つくのは残酷だ。
だったらいいんじゃない?複数の自分を演じても。
このときはわたし、あのときは俺。
そうやって周りに適応した自分を持っていれば、たとえ”1人”が否定されても、また別の”1人”で生きていける。
”ありのままの自分”という1つの人格ではなく、無数の人格を持っていれば、不必要に傷つかずに済む。
無数の自分で”ありのまま”を守って、その”ありのまま”を世界で1人だけの自分が大切にしてあげればいい。
それに複数の自分だって意外と楽しいよ?
見方を変えれば、いつだって好きな自分になれる。
一色の人生が十二色くらいにはなるんじゃない?
ありのままとの決別。
自分を隠して、着飾って。
そうやってひとりの自分を守って、たくさんの自分を楽しみたい。
水無月 双
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