私は1番の華でありたいと願う。
No.1にならなくてもいい
もともと特別なonly one
有名なSMAPの楽曲「世界に一つだけの花」の一節である。
この曲が誕生してからというもの、”みんなちがって、みんないい”的な価値観が一層広まるようになったと思う。
個人的にはとても素敵な価値観だと思うし、世の中の全員がこの価値観を持つようになれば、平和で温かい世界が生まれると思っている。
でも現実はどうか。
容姿、学歴、年収…
絶えず誰かとの比較に晒され、そんな自分も比較というメガネを通して他の誰かを見ている。
もともと特別なonly oneという概念が適用されるのは、せいぜい家族・恋人・親友くらいに留まるのが実態なのではないだろうか。
そして、他人よりも秀でたいと願い、他人に劣るところを感じて悩む自分が存在する。
きっと誰しもそうではないか?
それなのに不思議だ。
いわゆる”目立ちがり”判定がなされた人は嘲笑の対象となる。
本来は皆、他人よりもチヤホヤされたい、賢くなりたい、お金持ちになりたいという感情を持っているはずなのに。
ー
かく言う私はそんな感情に近いものとして、1つ明確な願望を抱いている。
それはその場その場で「1番の華でありたい」というものだ。
もちろん、全世界や歴史上で1番というわけではない。
あまりにも想像の範囲を超えているからだ。
でも例えば、職場や普段の飲みの席といった、自分がいるその場においては1番の華でありたいと思うのだ。
これは1番かっこいいと思われたいということではない。
それだとどうしても容姿が良い人が1番になるし、そもそも私は別にかっこよくない。
ただ、華があるかどうかという基準だと話は変わってくると信じている。
皆さんも何となく思い当たる節があると思う。
特段容姿が良いわけではないのに何故か惹かれる”華がある”人たち。
学年一モテるおしゃれセンス抜群のマドンナ
ポカリのCMに出てそうなサッカー部のキャプテン
いつでもクラスの笑いをかっさらうお笑い担当
どことなくオーラがある黒髪ロングの図書委員
病んだときに優しい言葉をくれる甘いマスクの後輩
いつも二日酔いなのに毎日元気な破天荒ギャル
営業成績1位のオールバックマッチョ
感嘆するような作品を作るおじいちゃん映画監督
そう。
”華がある”は極めて曖昧で、、、
「世界に一つだけの花」の世界線のように、たくさんの魅力的な”華”の姿があるのだ。
だからこそ、”華がある”と思ってもらうための努力は無限大。
おしゃれになるも良し、コミュ力をつけて場を盛り上げるも良し、思考を研ぎ澄ませて深みを演出するも良し。
1番の華になるまでには、無数の創意工夫の余地があるのだ。
気がつけば来月は3年ぶりの同窓会。
1番の華を目指して、がんばれ私。
水無月 双
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