Z世代が生まれたわけをZ世代が考える
1990年代後半~2000年代前半生まれの若者をZ世代と呼ぶらしい。
であれば、私はどんぴしゃZ世代。
Z世代の特徴として、デジタルネイティブ、コスパ・タイパ思考、保守的で堅実、個性の尊重を求める、といったものがあると聞く。
そもそもなぜこのようなZ世代が生まれたのだろうか。
この記事によると、デジタル社会の発達や不況を経験した親世代の教育の影響もあり、今のZ世代が育ったとのこと。
渦中にいるZ世代の私の結論は、”SNSの発達で良くも悪くも想定範囲外の出来事が減ってしまったから”だと思う。
私たちはデジタルネイティブと言われるが、それは単にデジタル化が進んだ時代に生まれたからであり、人間性そのものに依存しているわけではない。
デジタル社会では、やるべきこと・できることが一瞬で拡大し、常に時間に追われるようになった。
よく言われていることだが、ITが発達し社会は便利になっているにも関わらず、感覚的な忙しさはむしろどんどん増加しているのだ。
その結果、コスパやタイパといった、なるべく効率的に生きようという考え方がZ世代の標準装備になりつつある。
ただ、これもことZ世代の人間性に影響を与えているわけではなく、現代人
全般に作用しているものな気がする。
一方、保守的で堅実・個性の尊重の希求に関しては、Z世代の人間性に色濃く表れていると思う。
SNSが発達するまでは、未知なる世界への夢や憧憬があった。
お金を稼げば凄いことが出来るに違いない。
有名人には一般人が知らない世界があるに違いない。
世界にはまだ見ぬ絶景があるに違いない。
でもごく一部の”世界”を除き、今はYoutubeなり、Instagramなりで、お金持ちや芸能人の生活を簡単に覗くことができる。
昔だったらイメージすらできなかった世界中の絶景も、今や画面越しで簡単に感じ取ることができる。
その結果、どうなったか。
「まだ見ぬ世界を目指してがむしゃらに頑張ろう!」ではなく、「たしかに凄いんだけど、到達先はこの程度なのか、、じゃあそこまで無理しなくてもいいや」と悲観する人が増えてしまったのだ。
(しかも画面越しではそれら”世界”の魅力は半減して映る)
想定範囲外の”世界”が極端に少なくなり、わざわざそれを経験するために頑張る必要はないな、という気持ちになっているのだ。
SNSの力は、個性志向にも関係してくる。
SNSの発達により、凄い”一般人”が増えた。
Youtuberやインスタグラマーなど、自分に似た一般人が活躍している様子を日々見ていると、自分も何者かになれるかもしれないという錯覚が起きる。
しかし、その何者かになるために努力できる人は実際少ない。
その結果、どうなるか。
自分は何か特別だと想いたいという気持ちだけが増幅していくのだ。
そうして、ありのままの自分という個性を尊重してほしいという心が育つ。
以上の通り、SNSが発達した結果、Z世代が生まれたという結論に至ったのだが、個人的にはまだ見ぬ”世界”を諦めることに対し、虚しさを感じる。
というわけで、Z世代代表として私はnoteを通じて、それら”世界”に少しだけ手を伸ばしてみようと思う。
水無月 双
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