見出し画像

福島からよりよい未来を創る旅に

こんにちは。長野県の大学生Soです。私はGreen Innovator Academyという経済と環境の好循環を生むイノベーターを2030年までに1,000人育成するプロジェクトの1期生として学んでいます。プロジェクトの一環として先週、初めて福島県を訪れました。震災後10年が経過した福島県。今の福島ってどうなっているんだろう?そんなことがこの記事を読む皆さんに少しでも伝われば…そして、これからの未来を考えませんか?

震災の痕跡

福島FW②

写真は東日本大震災・原子力災害伝承館から。伝承館では写真や映像など様々な展示から原発事故、震災からの復興を伝えている。

きれいな海と澄んだ空。自然が好きな私にはたまらない風景。ですが、自然は時に猛威となって私たちに襲いかかる。10年前の大地震で、大津波はすべてを飲み込んだ。

福島FW③

写真は海沿いから約1.5㎞離れた高台。15mの津波が襲った。瓦礫の撤去が終わり、広大な草原が広がるが、ここにはかつて住居と田畑があった。10年前にどんな風景が広がっていたのか想像できなかった。


スクリーンショット (136)

写真は震災遺構 浪江町立請戸小学校。写真の左中央にある時計は津波がやってきた時刻のままだった。時計の下まで津波はやってきた。あの時何が起きていたのか。津波の恐ろしさを自分の目で見て改めて知ることができた。

進む復興、変わらない風景

震災から10年が経過した福島。福島の復興は私の想像以上に進んでいた。昼食休憩をした「浪江町復興のシンボル道のなみえ」は多くの人で賑わっていた。
宿泊場所は、Jヴィレッジ。サッカーの聖地であったJヴィレッジは、原発事故の対応拠点になっていたが、緑の天然芝のコートが蘇っていた。

画像4

他にもコンパクトシティを新たに作る楢葉町。みんなの交流館
なら!はCANvasなど、福島の新たな姿があった。

その一方で、変わらない姿もある。震災が起きた当時のままの風景を垣間見ることができた。除染が済んでいない場所には入ることができない。10年前から時が止まったようだった。

福島FW⑤

画像6

帰還困難区域の真横まで行くことができた。道路の反対側には生活が可能な住居がある。そこには実際に存在する壁以上の何かがあるように感じられた…一体何がどうなれば復興と言えるのだろうか?

未来を変えに

福島を訪れ、震災、原発、復興について考えさせられた。聞いていた情報より、やはり実際に見た情報は強烈なメッセージ性がある。
事故が起きたことは変えられない。しかし、事故が起きたことで変えられる未来はある。事故の原因は安全を怠ったからなのだろうか?原発は私たちが当たり前に使うエネルギーを生産するために作られ、今も稼働している。
故郷が住めなくなる、そんな事故を2度と起こさないために、「私たちは何を考え、今をどう生きるのか?」それは消して他人事ではないだろう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?