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九州の山のこと。

登山は本当に良い。何歳から始めてもいい。私はきっと暫く登れないので、登山を好きだった気持ちを忘れないために書きます。なお、当時は福岡の山を中心に登っていたのでその辺の話になります。

きっかけ

富士山に登るための練習です。人生で一度はやってみたいことランキング上位常連、富士登山。ある年の初夏に、衝動的に山梨までの切符を予約してしまったので、それまで2ヶ月間、流石に一回も登ったことないのはヤバいよね?というノリでいくつか登りました。結果、登山の魅力に取り憑かれ、念願の富士登山が終わっても毎週の様に登りに行きました。富士登山はしんど過ぎてゲロ吐きましたけど、それもいい思い出です。最高に楽しかったけど、富士山に何度も登る人のこと、尊敬すると共にとんでもねえドMだなとも思います。

登山の好きなところ

わたしは主に標高600m〜1800m位の山に登っていました。大体、朝コンビニでおにぎり(梅必須)と羊羹とチョコレートを買い足して、山頂でお昼ご飯を食べ下山して、温泉に入って帰ります。温泉最高〜。九州は、温泉も沢山あるから本当に良いです。疲れると食べ物の甘さが分からなくなるので、ビターチョコよりミルクチョコ。私はガルボが好きでした。

それなりに高い山は達成感があります。私は、最初の頃に何も考えず英彦山に登り、体力もないから本当に本当にしんどかったけど、きつかった分達成感は凄まじく、ますます登山ズブズブになりました。以前、雑誌の「のぼろ」を読んだ時、初心者はむしろ高い山に登り達成感を得た方がいいかもね、みたいな事が書いてありました。危険とかを考えずに言うと、私は、それ、大正解だと思います。

登山は、気づけば無になっているところが好きです。序盤は好きな音楽が頭の中で鳴ってるけど、次第に真っ白になっていきます。自分の息遣いしか聞こえないなんてこと、普段はあまり無いですよね。人間、やっぱり何かしら悩みを持って生きているので、やなこと忘れてスカッとしよう〜!という気持ちで私は登山をしていました。合法麻薬です。

あと、やっぱり登山してると危険な箇所も当然あるんですけど、それに注意しながら進んでる時、やっぱり私死にたく無いんだな〜生きようとしてるな〜と思います。下山の頃には、まあ色々あるけどとりあえず死なんどこって気持ちになります。お気楽野郎と思われるかもしれませんが、やってみればわかってもらえると思います。

私は、特に修験者に縁がある山が好きでした。鎖場も好きだし、やはり何らかの謂れや歴史が感じられると楽しいですよね。また、同じ山でも四季によって全く雰囲気が変わるのも素敵です。いや感想ありきたりやな!って言われるでしょうが、本当にそれしか言えなくなります。

春夏秋冬 好きな山

春は、やっぱりミヤマキリシマが綺麗な九重連山が好きでした。人は多いし駐車場は激戦区だけど、満開の花はシンプルに綺麗です。九重は色んなルートがありますよね。どのルートも綺麗ですが、私は男池も大好きなので毎回悩んでいました。水が本当澄んでるんですよ。全部飲みたい位。脊振山も好きでした。川の流れを聞きながら登ると、私はトイレに行きたくなるから理性と戦うのが大変だった思い出があります。

夏が終わる頃、六郷満山の中山仙境に行ったことがあります。山頂があるわけではありませんが、大人のアスレチックみたいで本当に楽しいです。馬の背好きな人は絶対好きです。帰りに夷山温泉というところに寄りましたが、ここも良かった記憶があります。あと、中山仙境好きな人は古羅漢探勝達も好きだと思います。ワクワクしますよね。羅漢寺のロープウェイを下っていると、目の先にある山に人が沢山登っているのが見えたことがあります。木がないから、人がくっきり見えて、岩山の猿みたいだな!と思いました。別に貶してるわけでなく、相当気持ち良さそうだったので、その翌週に私も猿になりに行きました。猿側からみるロープウェイの人間達もなんかミニチュアみたいで面白かったです。

秋はどこも紅葉が最高なので、迷います。宝満山も人気ですし、平尾台のススキも綺麗です。でも1番思い出深いのはやっぱり九重連山で、法華湯温泉に泊まったことです。山小屋に泊まったのは富士山以来でしたが、法華湯温泉は大きくて、富士山の山小屋とは全く違うものでした。団体客がいたので個室が取れず、大部屋で寝ました。電波もないので、早々に温泉に入り大部屋で寝ました。酷く寒く、大部屋では他人のイビキが鳴り響いていましたが、私は疲れでスヤスヤと寝れました。同行者はならなかったらしく、朝4時から叩き起こされ出発する羽目になったことを覚えています。朝の山は空気が冷たくて、頬がびりびりしました。360度山に囲まれた景色をみて、すごいとこに来たもんだなと思いました。山小屋に集まった人たちと、あの山は紅葉が良かった、あそこはもう終わっていたよ、と情報を交換し合うのもとても楽しかった。険しい山道もあるし本当にずっと歩いているようなものですが、命を狙われてないだけマシじゃん、と伊賀の山中を逃げる家康に思いを馳せて乗り越えました。山をずっと歩いていると、無になる時間と意味わかんないことをグルグル考える時間が交互にきます。

冬は、難所ヶ滝の氷瀑が凄まじいです。凍った滝をあんなに間近で見たことがありませんでした。私は偶然近年で1番良いタイミングで見ることができたそうで、それはそれはパキンパキンに凍っていました。まだ登山を始めたばかりで、安すぎるアイゼンだったことが悔やまれます。刃が折れて、ずっと尻餅付いていました。冬山では、由布岳や九重の御池も良かったです。でも由布岳のお鉢巡りするなら、冬はやめといたほうが安全...。私は雪山が好きです。音がしなくて、歩いても歩いても疲れません。後から写真を見返したら、髪の毛先や睫毛まで凍ってるし、写真は白しか写ってないし、「遭難」って感じですけどね。雪の鶴見岳も霧氷が素敵です。ロープウェイが通っているので、山頂には登山客じゃない人が沢山います。なので、茂みをガサガサ掻き分けて登頂する私たちは、まるで野生動物が出たかのようにビックリされたりします。

季節でくくれませんでしたが、高千穂峰も最高でした。坂本龍馬の新婚旅行先だったり、せごどんのロケ地だったりしたのは有名ですよね。私はお正月休みに行ったことも相まって、なんだかすごくめでたい気持ちになりました。山の感想としてめでたいってなんや!って感じですが行けばわかります。壮大です。でも、下り道が軽石みたいな岩が沢山あって、降りるのにめちゃくちゃ時間がかかりました。火山って本当そう。富士山もそうだった。私はいつも半泣きで降りる羽目になって、あまりの表情のヤバさに、登り客から心配される羽目になります。はず〜〜!!

有名な山ばかり書きましたが、近所にあるような低い山も大好きです。人が多すぎると自分のペースで歩けなくて嫌になってしまうので、桜や紅葉などのシーズンにはあえて高くない山に登ったりもしてました。所々にベンチがあったり、山頂には登頂記念ノートが置いてあったりします。記念登山ではなく、地元の人の生活の一部としての山を感じることができます。

登山で得られること

私は自尊心だと思っています。仕事で嫌なことがあったとき、怒られたとき、自分の不甲斐なさに悲しくなったとき、「自分は無価値だ」という気持ちになります。何にもできないダメ人間だなあ、と簡単に辛くなってしまいます。その気持ちをそのままにしておくと、休日も何度もそのことを思い出して全く楽しめませんよね。

そんな時は登山です。登山中は、強制的に心が無になります。最初は嫌なことも心に残っていますが、山頂に着く頃には、すっかり忘れています。仕事はできないかもしれないけど、私は富士山に登れる。あの上司は怒ってきたけど、富士山登ったことないでしょう?って気持ちになります。ぶっ飛んだ理論ですが、不思議と少しは自分に価値を見出せるようになるんですよね。社会に戻ればまた悲しい気持ちも戻ってきますが、自尊心を少しは取り戻して多少は防御力も上がってるでしょう。

さいごに

こんなとこまで読んでくれて本当にありがとうございます。山なんて登らなくても人生に支障はありません。私は、教育過程で嫌々きつい思いして登山やマラソンをすることには反対派です。嫌な思い出になってしまいますからね。私は怠け者で根性論なんてクソくらえという学生時代を過ごしたので、登山に手を出したのが大人になってからで良かったなと思います。私が登山にどっぷりハマったように、何を好きになりnoteに書きたくなるのかわからないので、今後も暇があれば色んなことをつまみ食いしていきたいですね。


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