あなたはずっと笑ってる。

あれから、早いことで…。

もう一年か。

思えばあの日からだね。

僕のドタバタな一年は。
“光過敏性てんかん”も発覚して、
また、皆んなより遅れとっちゃって、
そしてまた1人になったりもした。

「悪い年だった。」「大変な年だった。」
って片付ければそう。
でもじいちゃんはそんな言い方は嫌いだろ?

じいちゃんは10年…、
いや、それ以上に大変だったんだ。
“望んでないもの”とずっと闘ってたんだ。

僕の一年なんか……、
正直ショボい。
比べものにならん。

だから僕の苦しみなんかショボいんだ。
でもじいちゃんがいなくなるのは…
耐えれなかったよ…。

とにかく心に穴が空いた感じの年だった。

この日を境目に僕の歯車は狂った気もする。


じいちゃんの存在が大きかったんだ。

葬儀が終わっても、
日常が戻っても、
“当たり前”な日々が続いても、

僕には喪失感が凄かったんだ。

僕の大切な人。

ボロボロになって苦しんでた僕を、
1番側で、
しかも誰よりも笑顔で、
寄り添って助けてくれた人。

自分も苦しい時と共に過ごしてたから、
僕の想いや葛藤をいち早く察知したのかな?


そんな人が…


嘘であってほしいよ。今でも。

あの9年はじいちゃんがいた。
でもこの1年はいなかった。
その間に色々僕にのしかかったんだ。

じいちゃんがいなかったからさ。

正直言うね。笑



『辛かった』





それだけ、あの9年。
じいちゃんに助けられてたんだ。
そしてさ、
両親も色々助けてくれたけど。
結局じいちゃんのしてくれた事が大きかった。
それだけ甘えさせてもらってたって。

痛感もしたし、

実感もした。



あの後ね。

僕は頑張ろって決めたんだ。

じゃないと自分を保てない気がしてさ。


でもね、ものすごく空回りしてたと思う。
狂ってたと思う。笑
狂ったかのように全力だったと思う。
でもね、
周りは何とも思ってなかったよ。きっと。

「あれが僕だって。」
「そういう人なんだって」

誰も不思議がってないと思うよ。
みんな「僕」ってそういう人なんだ
って言うよ。
違和感のクソもきっと感じてないさ。


でもね、自分でも思う。

狂ったように頑張ってた。
しかも、何に頑張ってるか分からなかった。

でもね、僕はそうでもしないと
耐えれなかったんだ。

そんな日が続いてたら入院してた。

今思えば行きすぎてストレスになったのかな?
発作が再発して、酷い時と同じくらいになる。
それで診断が出たんだ。
元々、隠れてたものが分かったんだ。


そして今の僕がある。



教えてくれたんだろ?




『ようやるのー』って。




この言葉はよく僕にかけてくれた言葉。



何かに一生懸命な時。

よくじいちゃんは言ってくれる。


その後にだいたいなんかくれる。笑


だいたいポップコーン。
塩胡椒フリフリ。


そしてその後、




『たまにゃ、休めよー』





正直な話。

あまり両親は
こんな言葉をかけてくれなかった。
僕が昔世話を焼かせていたヤンチャ坊主だったのもあって厳しかったと思う。
だからできない事はめちゃくちゃ言われた。
できた事には少し「できて当たり前」。
昔はそんな感じはあったと思う。

それくらい褒められた記憶はない。


だからそのじいちゃんの言葉は嬉しかった、
そして記憶に残ってる。



だから入院した時思ったよ。


「もしかしたら、教えてくれたんかな」って

じいちゃんなら否めんな笑


そう思って切り替える事にしたんだ。




今、あなたのトレードマークは
今は僕のトレードマーク。

色は違えど、

“同じサングラス”


残してくれた。


切手のない贈り物。



ずっと大切に持ってるからね。





今日も左の胸ポッケに入れて、
一周忌を終えたからね。



僕が最後に会ったのは盆だったね。

その時のじいちゃんは笑顔だった。

それが最期だね。



だから僕のじいちゃんは



ずっーと“笑顔”なじいちゃんだ。


そんなじいちゃんが僕の心で今日も生きてる。


僕が想う限り、
あなたは僕の中で生き続ける。

だからあなたは生き続けてる。

少なくとも、

僕が死なない限り。






今日もあなたは笑ってるよ。





今年はいい報告するからな。


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