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東京つれづれ  2nd ファンミ ALWAYS

先日、人生2度目のファンミに参加してきた。
5月18日 ALWAYS カンハヌル。

最近、本で読んだのだが、
「幸福度を計るひとつの尺度」は、「心を揺さぶられた機会がどれだけあったか」ではないかというもの。

この日、間違いなく私は心を揺さぶられ、久しぶりに興奮し、夢中になり、幸福に包まれた。

(東京つれづれも長いので、ファンミレポだけなら4から読んでね〜
レポというより心情描写が長めなので、あまり面白くないかもですが…)


1、前章


正直、自分が芸能人にハマるとは思っていなかった。
若い頃は、毎日が刺激的で、自分の周りのことだけで十分だったし、
毎日が精一杯だった。
歳を重ね、だんだん落ち着いた毎日になり、体も無理が効かなくなってきて。
刺激よりも安定を求める自分もいて、それはそれでいいと思ってきた。
だけど、ちょっと単調で、つまんないなぁ。
時にはオシャレしてウキウキしたいなぁなんて思っていたとき、推しのファンミの知らせが届いた。

はい!!行きます!

前回は参加できなかったのだ。
絶対に行きたい。
心が浮き立った。
心の中のシンデレラの時計?(笑)みたいなキラキラした時計がその時に向けてクルクルと回り始めたみたいだった。

会場は東京。
海を越えて行かねばならない。
旅行好きの息子も置いていくわけにはいかない。
日程調整を考え始める。
幸せな時間の始まりだ。

2、いざ、出陣


あれよあれよと時は過ぎる。
手紙を書きたい。ボード?も作る?
お見送りのときはどうしよう…
結局万全の準備は整わず、いろいろ中途半端に出発の時を迎えた。

息子が大興奮で帰って来る、
急かされて出発、忘れ物はないか
空港でやたら時間があまる、
飛行機で息子の耳抜きができずに困る、泣くな、踏ん張れ、空気を抜け。
そして、彼も緊張しているのか、やたらトイレに行く。え…また?
なんとか無事着陸。夜の東京。
どの電車に乗ればいいのか
花金で混雑する新橋
もう寝る時間だ
興奮して眠れない息子、ベッドで飛ぶ
早く寝てくれ…

朝は早起き
急いで朝ご飯
朝からキッザニアに行くのだ
豊洲で道に迷う
ギリギリ間に合う
さあ、楽しんでらっしゃい。。。

やっと一息つきながら、夕方からのファンミに思いを馳せる。
ハヌルしは今何をしているだろうか。
彼もドキドキしてるかな、楽しみにしてるかな。どんなファンミになるのだろう。

3、会場へ


さて。待ちに待った夕方だ。
精一杯おしゃれをして会場に向かう。こんなにおしゃれをしたのは、何年ぶりだろう(笑)
会場には、フラワースタンド、パネルも送られていて、気分が上がる。
等身大パネルと写真を撮ってもらった。
私はこんなに幸せそうに笑うのか…
自分の写真を撮ったのは久しぶりで、その満面の笑みに嬉しくなった。

4、ついにご対面


歌から始まったファンミ。
肉眼でも普通に見える距離。
嬉しい。くじ運感謝!!

思い返すと、前回のファンミは、
初めて芸能人に会うということで、なんだかすごく緊張し、現実離れしたものだった。

自分の中で少し彼が神格化されていて、
声も発せられなかったし、
自撮り一緒とかハグとか握手とか、
当たりたかったけど、当たりたくなかった。緊張しちゃって。
(いや、結局当たらなかったんだけど)

私、面白いことも言えないし、
おそれ多いなぁって。

でも、今回は違った。
もちろん、彼はとても人気のある
素晴らしい俳優さんなんだけど、
何ていうか…神ではなくて、人間で、さらに友達のような…親近感…?

ハヌルしの言動や行動には、他人への敬意と尊重が溢れているのだ。
どの人の気持ちも否定することなく、そのまま大きく受け止めてくれるかんじ。
安心感。私は、私でいいのだ。
なぜか、このたった数時間のファンミで私はそんなことを感じていた。

さらに、私が楽しかったのは、
ハヌルしとファンとの関係性だ。
他のファンミには行ったことがないのでわからないのだが、ハヌルしはその場でファンと交流することをとても重要視しているそうだ。

私は前回、「ただ見ていたい」という思いが強かったから、問いかけられたり、直接触れあったりという時間よりも、ハヌルしのトークや歌の時間が長いといいなぁとひそかに思っていた。

でも、今回は違った。
ハヌルしが問いかける。
それにファンが応える。
それにハヌルしがリアクションする。
直接話している人は少数だが、会場全体が一体となって、ハヌルしとのコミュニケーションが盛り上がっているかんじがあった。
同じ場所で一緒に時を過ごすことだけで得られる一体感がとても心地よかったし、楽しかった。

ハヌルしは、人と関わることが好きなんだなと感じた。一人一人のファンへの興味を強く感じたし、そして日本への興味がこれほどまでに強いとは驚いた。

日本語の上達や個人的に好きな作品をスラスラ言い続けることを聞けば、私たちを喜ばせるためだけの「日本が好き」では決してないことがよくわかる。

私も韓国がとても好きだけれど、
心の奥底で両国の歴史のことが
いつもチラッと気にかかる。
私が産まれる前のことで、今さら消せない過去の出来事だから、どうしようもないのはわかっていても、
事実が事実としてある以上、どうしても溝が生まれてしまうような気になるのだ。

でも、それを気にしすぎる必要はないのかなと思った。
もちろん、事実は事実だが、私たちは今を生きているし、新しい関係を築いているわけだから。

と、少し脱線したが。
ここで、私が思うハヌルしの魅力は、周りを幸せにする明るさ、場の作り方、盛り上げ方。
スマートで的を得た切り返しをする頭の回転のはやさ。
なのに、なんか、オタクっぽかったり、ちょっと抜けてる可愛さ。
あんまりカッコつけてなくて、腰が低くて、かつ周りを本当によく見ている神レベルの気配り。
そして、思慮深さだなと思う。
(俳優業に関しても書くととりとめもないので、今回は個人としての魅力のみ焦点を当てて)
普段からいろいろなことをじっくりよく考えているんだろうと思う。
たくさん本を読んでいるようだし、その知識を自分のものにしているかんじがする。
丁寧に誠実に紡ぐ言葉と芯がしっかりしてブレないところ。安定感。
根底にある他人への尊敬の念がすごく伝わってきた。
そして、私達を精一杯喜ばせ、楽しませてくれようとする気持ちがとても嬉しかったし、
もちろんやっぱりかっこよかった。

他の芸能人に並ぶと、お顔が少し大きい…?などと思っていたが、とんでもない!!
なんなら私の顔の大きさと一緒だった。身長は40センチも違うのに。
(私の頭身って…?深く考えないことにした)

今回は、化粧も薄めで、素肌感があって、なんならうっすら青ひげまで見えて、ホクロも腕の血管も、爪まで見えて、そのままのハヌルしを間近で見れて、マジで最高だった。
チンチャ チェゴ。

本当にあっという間の時間で、最後は星野源の歌を歌ってくれた。
いい歌だったなー

"日々の恨み 日々の妬み 君が笑えば解決することばかり"
"ぼくは時代のものじゃなくて
あなたのものになりたいんだ"
"くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる"

くだらないの中に

嫌なことも笑えば解決するよ
ささいな日々の中に愛がある
人は笑うために(?)生きる
って歌…かな?


『笑う"ように" 生きる』
"ように"の解釈がよくわかんなかったんだけど

「~ように祈る/願う」の「ように」は、「そういう結果に、そういう状態に」に「行きつく」「なる」という意味を含んでいます。

https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/tsushin/grammar/201310.html

ってことなのかな…?

…とにかくいい歌だった。
声も本当に素敵で。
心にしみて、涙が出た。
これから、また別々の時間を生きるわけだけれど、この歌を心にとどめて生きようと思った。

5、 ファンミをおえて

日常が戻ってきた。
だけど、まだ余韻の中に生きている。
ハヌルしの相づち「あ~ぁ」(口ぐせよね??)とか
ちょっとおどけた言い回しとか
誠意をこめた真剣な声とか
歌声とか
素敵な笑顔とか
横顔とか
記憶をたどりながら
Xでの皆さんの感想や投稿に浸りながら。

だんだん記憶は薄れていくけれど
お見送りのときにあーすればよかった、こんなこと聞いてみたかったとか、いろんなことを考えながら
幸せな気分でいる。

昔、芸能人に夢中になる人を冷めた目で見ていた。
だけど、今はこんな関係もいいものだと思っている。
考えると幸せになれる人。
楽しみな時間をくれる人。
そんな人がいたら、人生がより豊かになるひとつになるのではないかと思うのだ。
何を好きになるか、
何を楽しむのか、
辛い時に誰のどんな言葉を、どんな姿を拠り所にするのか。
それは個人の自由だし、そんな大好きな人に出会えたことは幸せだと思う。
出会ったもん勝ちだ。

自分が相手にとって特別な人になりたい、そんな思いがちょっと顔を出し、辛かったこともあるが、今は、この関係性に満足している。
直接1対1関係でなくても、影響を受けることはたくさんある。

私にとってハヌルしが幸せの1つであるように、
ハヌルしにとっても私たちファンが幸せや刺激を与えられる存在でありそうだし(たぶん)、
また来てくれそうだし。

あー早くまた会いたいな。
でも、1年後くらいでなきゃちょっと行けないけど(笑)
楽しみにして生きようと思う。



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