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君と笑って過ごせるなら 続きの続き

夫の胃に出来た悪いものの内視鏡手術から2か月半、退院、術後の診察から約2か月が過ぎ、手術の傷痕と検診を兼ねた内視鏡検査の日が来た。

退院後の診察からこの日まで、夫は相変わらず何事もなかったかのように泰然自若と普段の生活を送り、私は夫に確認しながら一つ一つを手探りで、出来るだけ消化や体に良いものを食べさせる事に努める毎日だった。

この間、夫婦でウオーキングも始めた。運動は苦手で歩く事さえもあまり好きではないのに自分自身が一番驚きである。
ウォーキングを始めるきっかけは夫の病気の事だけではなかったけれど、(図々しく減量が目的でもないし、残念ながら体重は変わらない現実)心の中に鎮めている口には出せない言葉や心配事、泣きたい気持ちを家の外に出て発散したかった。理由は何であれ実際は夫と一緒に出来ればウォーキングでなくても何でも良かった。

始めた当初はまだ夏の終わりだったのでTシャツ、短パンで散歩程度から。その後、それらしいウェアやスニーカーを買い気分を出して。毎日は出来ないので週に2回、多い時で3回。1回の歩行距離も5〜6km、一番多い時で8km。この日は少し、いや、かなり疲れたけれど会話しながらのウォーキングは楽しい。夫は平日の昼間は仕事があり、歩くのはどうしても夜になってしまうので、次の日は眠いのだろうなと少し気にしながら。
毎回ではないが、ウォーキングコースに夫が入院していた病院の前の道を入れるなどして、夫の入院や手術を自分の心の中で消化し克服する事を目的とした。

心配とそれを発散し解消に努める毎日が約2か月ほど続き、冒頭で書いた検査の日が。
この日も内視鏡検査。前回の診察で検査の後、必ずと言って良いほど具合が悪くなる事を伝えてあったので、主治医の指示により鎮静剤の使用となった。
検査が始まる前に「手術したところもそうでないところも診ます。場合によっては生検もあります」と言う主治医の言葉を聞いた後の記憶はなく、眠っている間に終わってしまったそうだ。鎮静剤恐るべし。

検査は25分程で終わり鎮静剤使用のため夫はぼーっとした表情のまま検査室から出て来た。この日は鎮静剤の使用で検査する人が多いらしく、検査前の準備をした別室ではなく、検査室から少し離れた内科の診察室のベッドへ車椅子で移動した。そこでソリューゲンF注の点滴を受けながら1時間半、鎮静剤が覚めるまで眠る夫の様子を黙って見ていた。

と、眠る夫のベッドのテーブルの上にこれまでの夫の検査や診察を記録したファイルが。そっと広げると今日の検査についての内容と検査後の注意点などが書いてある用紙があった。それにはその日も「胃壁の組織を採取して生検に」と言う文字が。想定内ではあったけれど良い気持ちはしない。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。悪いものではない。絶対に大丈夫。自分の心に何度も何度も大丈夫だと言う。きっと大丈夫。大丈夫に決まっている。

検査の日から三日間、夫はお約束のように具合を悪くした。内視鏡検査で胃を触られた事による強い不快感ではなく頭痛。検査前の注意事項に、鎮静剤を使用すると頭痛が出現する事もあるとはあったのだが見事なまでに。

それから数日後、検査前、念のため一週間休んでいたウォーキングを再開した。夫は数日前まで頭痛で伏せっていたのが嘘のように、私は心の中に抱えた心配で落ち着かない気持ちを決して顔や言葉には出さず、そっと発散するために。
それはウォーキングでも普段でも一緒にいる時はいつも同じ。心配でパンパンになった胸は今にも張り裂けそうで、それを我慢するために笑顔を作り楽しい事を話そうとした。時々、抑えきれない泣きたい気持ちが‘怒る’という間違った表現でしか出来なくて失敗したりしながら。感情を抑え、泰然と過ごす。一番、苦手な事だけれど出来る事はそれしかなかった。

手術後の内視鏡検査の結果を聞く診察の前日にもウォーキングに行った。
夫がパソコンの地図で検索した新たなコースを歩いたけれど、最後の方に病院の前の道を入れたコースにして欲しいと言って。
ウォーキングで通る度、「検査にはちゃんと来ますから、どうか夫を病院には呼ばないでください。お願いします」と言っていたけれど、その日もそう願いながら。
出来る事はただひたすら大丈夫だと信じ願う事。ただそれだけだった。

そして、診察の日。術後の内視鏡検査及び生検の結果が知らされる日だ。
検査の日、夫が鎮静剤で眠るベッドのテーブルの上にあった、これまでの検査や診察を記録したファイルを見たと前述したが、実はこの日の内視鏡の画像や検査をした主治医のコメントもこっそり読んでいた。
そこには「内視鏡治療後(E S D後)瘢痕は発赤調の隆起を形成している。過形成性変化と考えられるが生検施行」と書かれていた。
と、言っても聴き慣れない言葉ばかりで記憶に留める自信もなく、スマートフォンのカメラ機能を使い画像として残し、家に帰ってから調べる事にした。

ネットで過形成性と打つと過形成性ポリープという文字が出て来た。過形成性ポリープとは「概ね赤色で胃のどの部位にもみられ、大きさは大小様々。単発の場合もあれば複数みられることもある。ヘリコバクター・ピロリ(H.pylori)陽性(感染している)で萎縮性胃炎のある胃に発生。H.pylori除菌治療で、ポリープが縮小もしくは消失したとの報告もある。過形成性ポリープは頻度こそ高くないががん化することがあるので、年に1回程度の内視鏡検査を受診すべきと考える」とある。
(一般社団法人 日本消化器内視鏡学会のホームページより)

この記事以外にもネットで多数の記事を読んだ。その内容を夫にも誰にも言えず、心配で苦しくて仕方なかったけれど、生検に出されたものの中に悪いものは何もないと強く信じ、不安を打ち消すだけで精一杯だった。何も知らない事は怖い事だけれど、知る事もかなり怖いと実感した。

診察の予約は10時に入っていた。病院へは予約の30分程前に着いた。その日も他の予約の方でとても混んでいた。大学病院は待つのも仕事だから仕方ないと覚悟しているけれど、あまり待たされると緊張が増す。
予約の時間から15分程過ぎた頃、夫の名前が呼ばれた。思っているより早く呼ばれ、それはそれで緊張する。

主治医は画像を見ながら過形成性変化について説明してくれた。夫のそれは内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)後の傷痕であり、そこから採取した組織に悪いものはなかった。しかし念のため数年の間、年に一度は内視鏡検査で組織を採取し、それ以外の部位もきちんと診て行きましょうという説明だった。
今後の飲食についての注意点も質問したが、極端な塩分量や摂取量でない限り、食べ物や飲み物が原因で悪いものが出来るという可能性は少ないそうだ。毎日、夫の食事を作っている身であり、責任の一端があったのではと感じていたので、主治医のこの言葉には救われる思いだった。

告知を受けてから4か月。度重なる検査や入院、手術、退院、そしてまた術後の検査。入院中に肺気胸である事もわかった。(こちらはお陰様で入院、手術をせず自然に治った)
その間、心配で、苦しくて、胸が張り裂けそうで、泣きたくて。でも夫にとっては出来るだけ普段と変わらないように過ごす事が良いのだと自分に言い聞かせて。そしてまた心配で、苦しくて、胸が張り裂けそうで、泣きたいを繰り返す毎日だった。その日々が、この日やっと報われた。

しかしまだ数年は油断は出来ない。主治医の言う通り内視鏡検査は怠らずちゃんと毎年受けよう。勿論、この先何もない事に越した事はない。それを願いながら来年も再来年もその先も、主治医がもう来なくて良いと言うまで通い続ける覚悟でいる。

♪君と笑って過ごせるなら 何もいらない
特別じゃない毎日の どこかに幸せを
失わぬ様に感じて生きていよう
ささやかな夢 抱えたまま この旅が終わるとしても
陽だまりの中 肩寄せ合い 歩いた道を忘れない
小さな幸せを 繋いで♪

コブクロ 陽だまりの道より


この歌詞をnoteに書くのはこれで3回目。このnoteのテーマだからだけれど、この歌が大好きで私たちにとって大切な歌だから。


華やかな事など何もなく、華やかな事が何かさえも知らない地味な私たち夫婦だけれど、特別じゃないようで本当は特別な毎日に幸せと感謝を感じ、互いが互いの陽だまりになって、君と笑って過ごせるなら他には何もいらない。

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