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音と音楽の境界

「音」と「音楽」ってどう違うのでしょうか。
境界はどこにあるのか、ここを読んでくださっている方は考えたことありますか?

この頃、JASRAC(日本音楽著作権協会))が、音楽教室から著作権料を徴収する方針を示して、ちょっとした騒ぎになってました(先日最高裁で判決が出ましたね)。
ツイート中の「著作権料の話はさておき」というのはその話を指しています。
そして、この件を受けてジョン・ケージの『4分33秒』という曲が一緒に話題になっていました。
そのことに対してシャープの公式アカウントがツイートしたというのが背景です。

ジョン・ケージの『4分33秒』とは、演奏時間は決まっているのですが、その間演奏者は楽音を出すことはありません。
なので、偶発的に出る様々な音も含めて、それが沈黙の音楽となる曲です。

さて、わたしはこのツイートを読んで「音と音楽の境界がどこにあるのかなんて考えたことなかった…!」と衝撃を受けました。
でも確かに『4分33秒』は音と音楽の境界がどこにあるのか、考えてみたくなる曲かもしれません。

わたしもそのときまで考えてもみなかったのですが、「音」と「音楽」の境界は明確に存在すると思い込んでいただけで、もしかしたら自分の理解は実は曖昧だったんじゃないかと考えてしまいました。

その後あれこれと考えてみたのですが、非常に難しいのでなかなか明確な答えが思い浮かばず、考えれば考えるほどわからない。
いろいろと悩んだ挙句、手元にある音楽辞典で「音」というものがどういう説明をされているのか調べてみようと思いました。

物理学的には音波のことを意味し、心理学的には音波を刺激として聴覚器官の媒介により生まれる感覚(聴覚)を意味する。

音楽之友社 新音楽辞典

まず、物理学的には音波で、心理学的には音波が聴覚器官を刺激することによって聴覚となる。
どうもそんな感じのようです。

この「音」の説明は続きがあります。

音の基本的属性である高さ・強さの変数を始めとして、聴覚刺激としての物理的変化と、経験としての心理的変化とはつねに区別して取り扱わなければならない。

音楽之友社 新音楽辞典

音波が聴覚を刺激するという物理的変化と心理的変化は別物だと書いてあると思います。
音(音楽)を聴いて鼓膜が震えること(物理的変化)と心が震えること(心理的変化)は別だということ。
そして、経験とは人間が感覚を通じて得るものらしいので、ここでいう聴覚を通じた心理的変化という体験のことなのかな。
そして、心理的変化によって得たものが「音楽」になる。

次に「芸術」というワードで引いてみると、

ある人格が自己の創造的・直観的とらえた美的理念を、その天分と熟練とによって、これに完全に適合した独自な感覚形象にもたらす表現活動と、またその成果をいう。

音楽之友社 新音楽辞典

と書いてあります。
自己の美的理念を具象化すると芸術になるということかな。

さらにこの「芸術」の説明には続きがあって、聴覚芸術とは運動と継起による芸術で、それが時間芸術なんだと書いてあります。
即ち、ここでいう聴覚芸術は「音楽」であるという意味です。

「音楽」がどうしても抗えないものに時間というものがありますので、聴覚を通じて「音」になったものが、運動と継起により「音楽」という時間芸術になる。
そういう理解かな。

なので、ここまで読んだり考えたりした結果、
『継起的な「音波」による聴覚の物理的変化(鼓膜の震え)が、美的理念の具象化によって心理的変化(心の震え)も起こしたとき、「音」は「音楽」という芸術になる』
これが最終的なわたしの答えかなと思いました。

いやー、音楽を楽しむためにはそんな難しいことは考えなくていいんだよ!という気もしますが、なんとなく曖昧だったものを言語化できてよかったです。

楽しい楽しい。ふふふ。
こういったことを延々と考えているのは好きです。
結論だけ読むと「そりゃそうだよ、何を書いているんだこの人は」となると思うのですが、その結論に至るまでに考えたもの、つまりプロセスもわたしにとっては大事なことなので、とても勉強になりました。

ここを読んでくださっている音楽好きのみなさんも、「音」と「音楽」について考えてみると楽しいかもしれません。
よろしければ、ご自分の中にある思考の森に出かけてみてください。

それでは、またお目にかかります。