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『エゴイスト』主演の鈴木亮平が感じたきつさ

『エゴイスト』主演の鈴木亮平さんが、ゲイの役を演じたことで知ったきつさ。社会の課題だと発信される理由とは・・

2023年5月文庫版の『エゴイスト』を読みました。
鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんによって、2023年2月に映画化されている自伝的小説です。

映画公開にあわせて、鈴木亮平さんがインタビューなどで、これは社会の課題だと積極的に発言されていました。
LGBTQ当事者でない彼が、ゲイの役を演じることで知った様々な感情。
これはきついなと実感されたからこそ、そのきつさを感じなくても済む社会にしなければと、これは社会の課題であると、熱いメッセージを発信されていました。

今回わたしは文庫化されたものを読んだのですが、あとがきに鈴木亮平さんが寄稿されています。そこでも彼は、社会に向けて熱いメッセージを記されています。
多くの人に届けたく、ここに転記させていただきます。

「最後に、中学生の浩輔のように自らのセクシャリティを理由に命を絶つ選択を考えてしまうような少年少女が、この国から、この世界から一人もいなくなることを私は願います。
そのためには私を含めた社会全体の意識の変革、教育や制度の改革が必要だと感じています。
その変革への一助に、この本が、この映画がなってくれることを強く願っています」

文庫版『エゴイスト』あとがき

ここからはネタバレも含まれます。
(内容を知りたくないという方は、ここまででお願いします)

「悲しむ権利」すら与えられていない

自分自身と重なるという意味でも、刺さった一文。

「この場所で悲しむ権利は、僕にはないじゃないか」

文庫版『エゴイスト』p.134

愛するパートナーの葬儀の場。
関係性をオープンにしていなければ、ただの仲のよい友人でしかない。
どんなに悲しくても、友人以上の悲しさを表出してしまうと、変に思われるんじゃないか、
関係性がばれてしまうのではないか・・

誰よりも悲しいはずなのに、誰よりも悲しんでいい関係性なのに、悲しむ権利すら与えられていない人が今現在もいる、という現実があります。

拭いきれない罪悪感

主人公は母親のお墓参りに行くたびに「ごめんね」と言ってしまう。

「友人が、どうして僕が母の墓に向かって謝るのか、どうしても理解できないと言ったことがある。
 けれど、(中略)こう生きるしかない。しょうがないんだよ」

文庫版『エゴイスト』p.115

マイノリティとして生まれたことは、どうしようもないこと。
誰が悪いわけでもないし、自分を責める必要もない。
頭ではそう理解していても、なぜか拭いきれない罪悪感。

私が所属している「メンタル✕鍼灸 オンラインサロン ここちめいど」で、この拭いきれない罪悪感のことを話したことがあります。
そのときに、子育てをされている一人の女性が
「お母様にとって、子どもの性別は関係ないと思う。
 男であろうが女であろうが、我が子は我が子」
と教えてくれました。

私は主人公のように「ごめんね」と口に出すことはないけれど
今でも母の期待に応えられなかったという思い込みを手放せていない。
この罪悪感については、これからも折にふれて出てくるテーマになるかもしれません。

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