見出し画像

わたしが「ここ」で暮らすということ②

Case 2 コミニュティースペースみそぎの里 水谷円香さん

まずは参加してみたことからはじまる

今回のインタビューの場となっている御祓(みそぎ)地区の「コミュニティスペースみそぎの里」。地域の人たちが、閉校となった旧御祓小学校の校舎を活用して、定期的にカフェをオープンしています。

昨年はカフェスペース以外の教室にも、和紙への印刷を手がける印刷所(ゆるやか文庫)や手漉き紙にまつわる実験室(kami/)など、手仕事やものづくりに関心がある入居者が続々と決まり、目が離せないスポットになりつつあります(第1回目のインタビューに登場した、ぽたり珈琲もその一つ)。


このみそぎの里の運営の中心的な役割を担っているのが、水谷円香さん。水谷さんが、埼玉県からここ御祓に住むきっかけは何だったのでしょうか。


「移住のきっかけは、この出来事があってとか、そういう大きなものはなくって、なんだろうなあ、違和感の積み重ねじゃないですけど、暮らしている中で、なんかモヤモヤすることがだんだんと形になっていった感じですね」


「そして移住先を探すようになり、たまたま裕子さん(石畳のパン屋・武藤裕子さんの記事はこちら)の旦那さんが載っていた炭焼き職人の記事がきっかけで内子町を知って、内子に移住を決めたんです。住む場所を探していたら、御祓にある泉谷の棚田でオーナー制度をやっているのを見つけて」



棚田のオーナー制度とは、オーナーが5〜9月にかけて4回集まり、田植えや草取り、稲刈りなどを体験し、お米を育てるプログラム。通う間に、地域と関係性を築きながら家が見つかればという気持ちで参加した水谷さん。


「それが、5月にここに来たタイミングで、もう家が見つかったんです。なんていうか、作業が終わったその足で、数十分前に知り合いになった地域の方に案内してもらって。もう、そこで決めて、そこからオーナー制度の最後の作業日の9月には、実は移住をしていました」


住みたいけれど空き家がないという地域の悩みはよく聞きますが、とんとん拍子で事が進んでいきます。でも、迷いは全くなかったと水谷さんは語ります。


協力隊として活動する中で感じた地域の変化

住む場所が決まり、仕事は内子町の地域おこし協力隊に応募し、御祓地区での採用が決まります。御祓地区の活性化のために活動を行うというミッションですが、このようなフリーミッションの場合、最初は活動の軸を決めるところからはじまります。


「ここにカフェがあることは知っていて、最初に来た時は、お客さんとしてだったんです。その時は廃校利用のイメージそのまんまみたいな感じでしたが、場所が本当によくて、すごく魅力があるなと思いました」


「既に地域の人たちが、取り組みを始めていたので、ここから手をつけるのが展開させやすいというか、地域にとっても拠点となる場所ができることで、いろいろ広がっていくかなっていうのもあったので、ここのカフェを自分のメインの活動にしようっていうのは、割とすぐに決められましたね」



地域としても、一緒にカフェを運営してくれる人を求めていたので、自然な流れで携わるようになっていきました。カフェでは、御祓の棚田でとれたお米や、スタッフのみなさんが育てた野菜を味わえるランチが人気。メニューは、その季節にとれる野菜のバランスや彩りを考えながらみんなで決めています。

「コンセプトとしては、御祓の普通のお家の食卓で食べられているようなものを定食にしています。だから、すごいご馳走がある訳じゃないんですけど、なんか、ありのままのこの地域の食事を食べてもらえるところは、いいんじゃないかなって思います」



まるで、御祓のお家の日常にお邪魔したかのような、ありのままのごはん。地域の旬を飾らない姿で味わってもらう、そんなメニューになったのは、水谷さんが協力隊として、リニューアルに取り組んでからのこと。以前提供していたうどんと比べると、大きな変化でした。

「でも最初は、ありのままであることに自信もなかったし、やっていけるのか、みんな不安があったと思うんです。けれど、だんだんと人が来て、最初だけで終わらず、ずっとたくさん来てくれることで、すごく自信につながっているなって見て取れて、手応えを感じられました


「そうやって、第2・第4日曜日になると、たくさん人が来て、車が停まっているのが、地域からも見える場所なので、それを地域の人が感じてくれて、今までカフェに携わったことがない人が野菜を持ってきてくれたりとかもあって。ちょっとずつ地域に馴染んでいくというか、そういう変化はやっぱり嬉しかったですね


まさに、人が人を呼ぶように、このカフェに訪れたことがきっかけで、この地の良さを感じて一緒に盛り立ててくれる人が空き教室に入居したり、みそぎの里全体が新しいチャレンジの場になっています。



ここで磨かれていく生きる力

地域の変化やそこに手応えを感じる一方で、水谷さん自身の変化はあったのでしょうか。


「過去のインタビューで『生きる力がレベルアップした』って答えたことがあるんですけど、田舎暮らしで、自分の生活を組み立てているいろんな要素が身近にある環境になったので、自分の生活にすごく責任が持てる状態になりましたね。それこそ食べ物とか、自分自身で育てているものは少ないですけど、誰々があそこの畑でつくった何々とか、そういう目に見えるようなもので自分が構成されていくのが感じられるというか」

「食べ物以外だと、水道の仕組みがどうなっているとか、ちょっとした水漏れだったら自分で直せるとか。山の人は割とそうなんですけど、なんでも自分でやっちゃう人たちがたくさん周りにいるのを見て、すごくいいなと思うし、自分もそうなっていきたいなっていうのがあって。そういう意味で移住前の自分よりも、生きる力が上がっているかなって思ってます」

お金があれば何でも買えて、サービスが受けられる便利な現代の都市の暮らし。でも、どこから来たのか誰がつくったのか、ものの背景や顔が見えなくても生活できることに、逆に生きている実感が伴わないことがあるのではないでしょうか。お金がなくなれば何もできなくなる不安感もいつもどこかにつきまとっていたり。水谷さんが移住前に感じていたモヤモヤは、そんなところにもあったのかもしれません。


「なんか、そう、自分が移住を考え始めた頃に、こういう景色が私も見たいみたいに思った体験があって。それがここと同じような中山間地に暮らしている子どもたちの姿なんです」


「その子たちは、お昼ご飯の残りの米粒を潰して、それを餌にして魚を獲ったり、川で手掴みで獲った魚を石の上で捌いていて、その姿を見て、生きる力がすごいって思ったんですよね。で、自分自身だけでなくて、いつか私もこういう環境で子育てをしたいって思ったことが大きくて、その時から生きる力っていうのを自分の中で考えるようになりました」


手を動かし、命と向き合い、今を生きる––、そんな、移住に至った原風景。ここでの暮らしを重ねながら、そのイメージに一歩一歩、近づいている水谷さん。


たとえモヤモヤだったとしても、感じた違和感に目を瞑らないこと、そんな自身の経験も踏まえながら、移住希望の案内人として、ここで暮らす魅力を伝えています。


コミュニティースペースみそぎの里

住所:愛媛県喜多郡内子町只海甲456

Instagram

HPはこちら



Coordinator Mai Oyamada
Writer Mami Niida
Photo Ko-ki Karasudani