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57. 枡野俊明『禅と食 「生きる」を整える』

 坐禅がマイブーム。お寺やオンラインでの坐禅を体験したり、坐禅の本を読んだりしている。ネルケ無方氏の『ただ坐る』もそのひとつだった。

 そのようななかで出会ったのが、枡野俊明氏の『禅と食』だ。

 坐禅は禅の修行のひとつに過ぎず、禅の世界でとりわけ重要視されるのが、食事を司る「典座(てんぞ)」という役割だ。食事をつくるのも、食事をいただくのも、すべてが修行。「歩歩是道場」なのだ。

 修行としてわかりやすいのは、食事の少なさと質素さだろう。朝の「小食」は、お粥と少々のお漬物。お昼の「点心」は、白米と味噌汁と、やはりお漬物。夜の「薬石」は、お昼の「点心」におかずの「別菜」がつくものだが、そのおかずも大根を煮たものや、煮たがんもどきを半分に割ったもの、らしい。空腹との戦いや、少食、粗食が頭をすっきりさせるところなどは、禅僧に抱くイメージどおりだ。

 「日日是好日」「而今」「喫茶喫飯」といった禅のキーワードは、アドラー心理学にも通じるかもしれない。食から実践するアドラー心理学といったところだろうか。

 早速実践したいのは、親指、人さし指、中指の「浄指」だけを使っての食事。確かにその姿を想像するだけで、品格が高まるような感覚がある。
 もうひとつの実践は、野菜断食。文字どおり、数日間、肉や魚を避け、野菜だけを食べるというもの。これからの季節、精進鍋も実に美味しそうだ。

 坐禅用の座布団も買ったし、生活が着々と禅に向かっている。

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