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現実味のない現実にマヒする

おはようございます。

ロックダウン3週間目に突入するハワイです。

毎日ベッドから起きたままの姿でデスクまで5秒の通勤を繰り返していると、曜日の感覚が無くなってきます。

今までビッシリ入っていた面談の予定は完全に無くなり、カレンダーはほぼ真っ白。

もはやゴミ出し以外に曜日を意識する機会は無くなりました。

以前は子供の登園時間を中心に回っていた一日の生活スケジュールも完全に崩壊し、食事の時間も不規則になりつつあります。

もう時間の感覚すら、おかしくなり始めています。

一日中起きているような寝ているような感覚になり、自分の生活にまったく現実味がありません。

家族と一緒にいる時間が増えたのはありがたいけれど、この状態がこのまま長く続くとヤバいな、という予感もあります。


Twitterやニュースアプリを開けば、コロナに関する負のニュースばかり。

つい数か月前まで、中国のよく知らない場所で新手の感染症が流行っているというニュースを見て、「中国も大変だなぁ」と他人事のように思っていました。

その時は同じ感染症で自分が住むハワイがロックダウンして日本からの観光客がゼロになろうとは夢にも思いませんでした。

ニューヨークの現状をニュースで見るたび、自分が昔住んでいた場所で現実に起きている惨状が信じられなくなります。

そしてついに非常事態宣言を出した日本でも、同じことが明日にでも起きるのではないかと心配しています。


ここ1ヶ月に起きたことを思うと、「これは悪い夢なんじゃないか?」と思います。


僕は約40年生きてきましたが、こういう感覚になったことは何度かあります。

9.11のテロで2機目の飛行機がツインタワーに突っ込むのをテレビで見た時、3.11の地震で迫りくる津波から逃げている軽自動車をパソコンの画面で見た時、そして4年前トランプが大統領になったことをアプリのニュース速報で知った時です。

どの出来事も、起きた瞬間はまったく現実味がなく、心がフワフワザワザワした状態がしばらく続き、その非現実世界に自分の感覚ががだんだんマヒしていきました。


今世界中がコロナの感染が広がり、毎日多くの人が死に、国や地域がどんどん分断されていく様を見て、この非現実にも自分の感覚がマヒしつつあると感じています。


そうふと考えて、ものすごく恐ろしくなりました。


学生の頃、歴史の教科書に出てくるまったく現実味の無い過去の出来事をたくさん学びました。

大恐慌、世界大戦、ホロコースト、原爆、ベトナム戦争。

どの出来事も、平和に暮らしていた普通の人々がとんでもない非現実に巻き込まれ、それに慣らされてきました。


僕はそれらの出来事を知った時、昔は大変だったんだなぁ、現代に生まれて本当に良かった、と軽い気持ちでスルーしていました。

でも9.11に始まる一連の非現実的現実に慣らされていく自分を考えて、現代に生きる自分たちも間違いなく、教科書の中の非現実的な歴史の延長線上の世界を生きているんだと気づかされました。


僕たちが生きている今は、ぜんぜん特別なんかじゃなかった。

そして、僕たちがこれから生きる未来も、きっと同じくらい非現実的だ。


昨日、久しぶりに「21世紀の歴史」という本を手に取りました。

フランスの有名な経済学者・思想家のジャック・アタリという人が2006年に書いた未来予想の本です。

未来の人間が、21世紀の歴史を振り返るというコンセプトで書かれています。


コロナのようなウイルスによるパンデミックが予想されているかと思って読んでみましたが、さすがにパンデミックまでは予想できなかったようです。


未来を予想している本は、この世にたくさん存在しています。

こういった本は、たいてい経済学者や歴史学者が色々なデータを駆使して、あたかもこれから起きることを知っているかのように書かれています。

でもそういった本のほとんどは、あとで振り返ってみてみれば「ノストラダムスの大予言」と大差ないはないフィクションです。

作家は、しょせん今回のコロナショックの様なブラックスワンを予想できはしない。


僕は自分がこれからの未来の歴史を予想しようなんて思わない。

でもこれからの世の中がどんな方向に進んでも、自分と自分の家族だけはどんなことをしても守りたいとは思う。


歴史を振り返れば、歴史は常に繰り返しながら前に進む螺旋のような形をしていることがわかる。

コロナショックによっては、世界はまた以前いた場所に戻りつつも少しだけ前進し、でも戻ることはない。


先月までの居心地のいいあの生活は、もう戻ってはこない。

これだけは、僕にもわかる100%確実な未来だ。

だとするなら、過去の人たちがそうであったように、その状況を最大限に生かして前に進むしかない。


今の僕にとっては、嫁と息子が起きる前の静かな時間にnoteを執筆し、「遊んで~」としつこく絡んでくる息子と、ゴミ出し皿洗いを指示してくる嫁とうまく付き合いながら仕事を片付け、夕食前の散歩を楽しむ日々が非現実的現実だ。

コロナ騒動が、今後の世界をどう変えていくのか静観しつつ、次の非現実とどう付き合っていくべきかを模索している。


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