wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol2

その男は同じ年で、出会った場所は高円寺だったか吉祥寺だったか。
書き始めて思い出したのはそれは桜が咲く井の頭公園の花見で
パンク音楽が大好きなロッカー集団の一人だった。僕らはまだ19かハタチとかで未来にまだ沢山の余白があった。

田舎言葉を70パーセントoffにして、話す面倒見の良い男。
ほとんどのパンクすが楽器やら歌やらを武器にする中
彼は持ち前の調整力と問題解決能力でバンド運営の裏方を担っていた。

東北人に共通してもれなくシャイだし、静かに熱くて
そうなの?ほんと?と目を丸くする時は語尾のイントネーションが上がってしまう。だから彼の出身地を想像できてしまう。福島県南部の街、白河市出身。

ロックスターはその輪から誕生しなかったが、ロックスターのローディーを務める者がその輪から輩出したし
彼自身も
誰もが知る音楽家のマネージングに関わったり、その後誰もが知るタレントのマネージングに関わり、現在は結婚し東京に住む。


震災の3日後に故郷白河に救援物資を届けた。
その時私は電話をもらい、逢いに行こうと思えばすぐの距離で
(杉並と世田谷位の距離で)
渋谷のアジトに避難しているだけで
一緒に行こうと思えば行けるほどの都合だったが
ただ一緒に行く勇気と決断が出来ずに
気をつけて行ってこいよと、恥ずかしい逃げ方をして電話を切ってしまった。

“現地まで車で行くことが出来るのか?
混乱の被災地で帰りのガソリンはあるのか?”
問題は多かったが、彼はやりきった。
帰りのガソリンは田舎の友人が話を聞きつけ
長蛇の列を作るスタンドから内緒で持ってきたのだった。
彼の英雄的な行動に対して。東京からわざわざ危険な故郷に戻り物資を持ってきてくれた漢気に対して、それは過不足ない対価だったと、今改めて考えてもそう思う。片道切符、たった一人の特攻隊。多くの不安に耐え、彼は荷物を軽くした車に
故郷の友人達からのたくさんのありがとうを胸に東京に戻って来たのだった。

その後ももちろん僕らは良好な関係が続いた。
ただ、いつだか酒を飲んだ時に、やはり同じ年の友人が=故郷の友人が
癌で亡くなった事をポツリと教えてくれた。


付き合いがよく、100人以上の友人の結婚式に出席したのに
本人達の結婚式はコロナの影響を受けて延期となっている。


福島取材を控え、緊張した夜に
10年経った今何を思うかメッセージを送ると
以下のように返信をくれた。

+++++


いつか比較したかった事。
ダムで家と土地を失った人達って、似た感覚もあると思うんだけど、どう感じてたんかなーと。
って、オレは地震や津波で身内に被害無いから、あくまでも原発が話の中心になります。
天災じゃねーからな。あれは規格と設計の甘さからくる人災だ。

今何を感じてるか?って事ですが、
過去にあった事に蓋をしてる感覚です。福島で起きてる事に向き合う事に、怖さもあるし、何よりエネルギーを相当使うので、出来れば考えたくない。
例えるなら、他所には相談できない家族のゴタゴタがあり、いつかは片付けないといけんなーと感じる事と同じというか。
ようは他責だな。誰かなんとかしてくれって思ってるよ。
なんでそう思うかって、結果自分達の事は自分達で出来るレベルしかなんも出来ないし、世界中の天才が集まってもなんとも
出来ない問題だって事はわかってるから、全力の被害者意識です。
だって嫌だぜ。
地元が放射能まみれで、なんかあっなら吹っ飛ぶレベルの壊れた原子炉があるなんて。
そこに嫁連れて、いつかは家族と暮らしたいだなんてわがままを理解してくれてる、ウチの嫁と嫁の家族には本当に感謝してる。
ってだいぶネガティブな感じだけど、福島人の大半は、そんな状況になってもきっと地元大好きだぜ!
オレも大好きだ!


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