wana be back 3.10. 戻りたい風景 vol 1


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2011年3月 東京
渋谷区円山町、クラブ街&風俗街のど真ん中
決して治安が良いとは言えない場所に当時の僕らのアジトはあった。

恵比寿から移転してきた実験的なBARはスパイス鍋や
週末日替わりでliveを行うミュージシャンの演奏が好評で
健全で業界人も集う秘密のアジトだった。
もちろん地震の直後から東京でもかつて感じたことがない緊張感があり
飲食店だった店内は仲間たちの緊急的な避難合宿スペースと変わったのだった。

皆等しく、余震に怯えていた。都内のマンション8回の部屋を住処にするオーナーは
コレクションしたレコード棚が地震の揺れにより一気に倒れ
このままマンションごと潰れるのではないかと恐怖を感じたという。
今でこそSNS時代だが、インフルエンサー的な仲間が集い
業界人のつてか東北は相当やばいと危機感と悲しみと恐怖に打ちひしがれていた。
しかし、同時に前向きな行動も早かった。
人気バンドブラフマンが購入したてのバンド機材車を貸し出してくれる事になり
ネットで声をかけ応援物資、食料や生活必需品をかき集め被災地に届けられた。


現地までのガソリンはもつのか?
行って迷惑にならないのか?
こんな時だから動ける奴が動きべきではないのか?
30代後半の男たちが昼夜意見を交わした結果
小説家のOと共同オーナーの一人グラフィックデザイナーだったQの二人が東北に旅立った。


行きの車は緊張のせいか二人とも敢えてはしゃぎ、さながら青春旅行の気分で
託された荷物が誰かの命の為になればと、そんな正義感は腹にしまい
だからこそ余計にはしゃぎにはしゃいだと言う。
しかし、高速道路を降り沿岸部を目指すと世界は一転した。
TVで報道された通り、瓦礫の街が視界を制すると
二人とも嗚咽と共にに涙を流したと言う。
悲しみ恐怖を超えた未知の感覚で、なぜか涙が溢れたと言う。
運転ができないほどに。


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東京でも相変わらず緊張状態が続き
パチンコ屋などが相変わらず営業を続ける一方
判断が早い外資系企業、H&Mなどは店舗を閉鎖
外国籍スタッフは香港などアジア近隣国に飛ばし安全を確保した。
電気が十二分にある渋谷で、昨日まで買い物客でにぎわっていた店舗が、
その大きな店舗だけが電気を落とし
夜になればその異様は目立ち恐怖を誘った。

私は故郷静岡に戻ることも出来たが
友人の多くは東京にいたし、当時好きな女性も東京に住んでいた。
好きな友人達といる事を、無意識的に選んだのかもしれない。


寝泊りをするアジトに物資を届けた二人が帰ってきた。
心なしかやつれヒゲが伸びブーツが汚れている。
おかえり、おかえりなさい、と歓迎し
飲みながら現地の様子を皆で聞いた。任務を無事にこなした二人は輝いて見えた。
その夜は相当に呑んだか、記憶は定かではない。
シアターを移すスクリーンに24時間体制のニュースをつなぎ
疲れたら音楽を流した。
未曾有の事態に皆正しい感情なんてなかったのだと思う。

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