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ふさわしい、クリエイティブ

 自分にとってふさわしいクリエイティブとは何か、ということをよく考えてしまう。 どんなことをしていたら僕らしいだろう?輝いて見えるだろう?そんなことを考えるのは野暮だと分かっているのに、気づけば、意識している。ここ数年、年初に「今年はクリエイティブな年にするぞ」と意気込み、大晦日に「何もできなかった」と後悔する、なんてことが続いているのも、きっとこのスタンスのせいだ。今年も、何もできないまま1月が過ぎてしまった。

 「やりたいことは好きなだけやればいい」「クリエイターになりたい人はすでに時間を作って、本能的に物づくりを始めている」「環境なんか関係ない」という言葉たちにプレッシャーを感じる。 それは勝ち組の意見だよね、とさえ思う。きっとそれらはすべて正論なのだけれど、今の僕には受け入れる余裕がない。出来るだけ効率よく物事をやり過ごそうという、左脳的な生き方。そして、24才という、若手クリエイターがイチから創作活動を始めるには少し遅い年齢。「物事を始めるのには年齢なんて関係ない!」という言葉もあるけれど、それもまた、僕にとっては重圧だ。

 自分が一番得意なことは? 就職活動の時、エントリーシートに「端的で読みやすい文章を書くことです」と書いて、訂正されたことがある。講師曰く、文章の上手さはエントリーシートを読めば伝わるから、あらためてアピールする必要は無いとのこと。一日でも早く内定が欲しかった僕は、疑うことも無くその理論に感心し、それからのエントリーシートでは、「人をまとめること」に路線を変更した。でも、今思えばこの時に、アピールポイントを曲げなかった人こそ、クリエイターだったんだろうな。相手の求めることに対して、適切な答えを用意する。もちろん、就活においては正解のアドバイスなんだろうけど、その器用さは全然かわいくない。

 じゃあ文章を生業にすればいい? 昔、誰かが「文章を書くということは、人間にとって一番身近で手取り早いクリエイティブだ」と言ってた。それは、ポジティブに捉えられるべきアドバイスだろうけれど、僕は捻くれているので、「だからこそ片手間でやりたい」と思ってしまう。文章も、音楽も、映像も中途半端にかじってきた僕は、マルチクリエイターの文化人が持つ連載のようなスタイルが丁度良い、なんて考えてしまう。
 ああ、またスタンスの話だ。色々なクリエイティブに対し、どこに重点を置いて活動するかは、すべて突っ走ってみて、後々調整するものだろうに。

 この一瞬感じた「反省」を忘れないでおこうと、寝る前のベッドから起きあがって衝動的に書いた、深夜雑感でした。
 カバー写真は、まったく関係のない、目玉焼きです。

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