色々な形で連絡をいただいていながら、返せずにすみません。 2020年11月以降、LINE以外で、一切の連絡、返信、発信をしておりません。 LINEについても、ほとんど使用しておりません。 ついては、それ以外の形で、私の名義での連絡があった場合、私の意思に関係なく、私のなを騙って、無断でされたことになります。 理由は色々あります。 様々な連絡を返さなくなったタイミングで、近い将来自死することを決心していました。 受傷後6ヶ月を越えて、喪失した身体機能が二度と戻らないこ
さっむい。 自分の思いとか、考え方とか、障害者は世の中こう思ってまっせ的な切り口の発信。 今まで書き残してきたけど、それもめんどくさくなってきた。 自分が死んだあとに、何を思ってたのかとかそんなんを残しときたいからって理由で書き始めたけど、そもそもそれが何でやって話や。 こんなにしんどくて辛いんですよーって伝えたかったのか。 承認欲求の延長のようなもんか。 こんな嫌なこと言われた、されたって残したかったのか。 大勢に見てほしいんじゃなくて、知ってる人が何年後かに見つけ
急にさむなってきた。 重ね着するのめんどくさいから、寒いより暑い方がありがたい。 服を一着着るのも時間がかかる。まあ面倒くさい。 自分は自死できるのだろうか。 明日死ぬのも、50年後老衰で死ぬのも、なにも変わらない。 人生の総得点はこれ以上増えない。 だらだらと生きれば生きるだけ、人生の平均点が、密度が下がっていく。 未練はない。 これは真実やし、自分の気持ちに偽りはない。 いい人生だった。と、一種の満足感すら覚えている。 自分の意識が消える。二度と戻らない。 楽
近々、話さなあかん機会があるから、改めて考えてみる。 とはいえ、死にたいやつが働きたいわけないやろ。 と、言ってしまえばそれまでなので、いったん生きていかざるを得ないと仮定して。 逆に、生前何で働いていたかを整理する。 幸いにも、そこそこの大学に行けるだけの環境に生まれていた。 特に疑問を抱かずに、周囲の人間と同じように就活、就職した。 この時点での、働く目的は「金銭を得るため」だったと思う。 何年か働いて、最後の1、2年は働くことそのものが目的になっていた。 仕事
自死という生き方(須原一秀 著)という本を読んだ。 今から15年ほど前に、自死を遂げた哲学者の遺稿らしい。 筆者は、いずれ確実に訪れる「老い」と、それに伴う生活の質の著しい低下を忌避し、心身ともに頑健なうちに自死を遂げるのは、なんら不思議なことではないと解いていた。 哲学関連の専門用語や、前提知識が必要になる箇所も多少あり、内容を全て理解できたかはわからないが、概ね面白く読めた。 何より、自分がなぜ死にたいと思っているのか、整理できたし、新しい考え方ができるようになっ
自殺する夢を見た。 なにげに初めての経験だった。 車椅子に乗ったまま、高所から落下する。 やっと終われる。痛いんかな。いや、首折れた時も痛くはなかったからどうなんやろ。 眠るときみたいに意識がなくなってそれっきり目覚めんでよくなるのかな。 落下中に緊張しながらそんなことを考えていたら、目が覚めた。 外的刺激じゃなく、夢の内容が原因で目が覚めるのはだいぶん久しぶりだった。 何でこのタイミングでそんな夢を見たんだろう。 自分の中で無意識に、今までよりも一段深く、自殺を現実
しんどい。 起きてからずっとうっすら眠たいし、力も入りづらい。 血圧が低いのか、気圧が下がってるのか、その両方か。 体の状態に引っ張られて、なにをするのもめんどくさい。 どうやったら気分が上向くか。 しばらく考えてみたが、なんにも思い付かなかった。 なにかをしてテンションが上がっている自分が、全くもって想像できなかった。 案外、こういう精神状態の時に、スッと死ねたりするのかもしれない。 テンションが上がる、気持ちいいなと思える瞬間。 どんなものがあっただろう。思い
気持ちよく晴れているけど、涼しくて過ごしやすい。 そんな気候になってきた。 以前の自分ならなにを思っていただろう。 ゴルフ行ったら気持ちいいやろな、どっかバイクで旅行でも行きたいな、新しいアウターほしいな。秋冬物見にアウトレット行きたいな こんな感じか。あんまりよく思い出せない。多分他にもいっぱいあったんやろうな。 どんどん思い出せなくなっていく。 一日、また一日と、ほんの少しずつ生前の自分が記憶からすり減っていくような感覚。 「なにかを忘れたこと」は、本来認識でき
ありがとう ごめんなさい と思えなくなってきた。 従来はこんな人間ではなかったし、受傷前の人生で培った感覚や経験から、ありがとう、ごめんなさいと思うべきことはわかる。 この体だと、人に助けてもらったり、迷惑をかけたりすることが多々ある。 例えば、高いところにあるものをとってもらったとき。 口では礼を言うが、内心、「簡単に取れてええよな」と思う。 自分の意思で自在に動く、足を指を体を妬ましく思う。 羨ましさ、惨めさ、妬ましさ、その他表現しがたい気持ちになる。 迷惑をかけたと
受傷前のQOLを100とすると、現在のそれは、ええとこ2か3くらいだ。 今後、3.5や4になることは、もしかしたらあるかもしれないが、80や90になることはない。 宝くじが当たるとか、考えられる限りの幸運がこの身に降りかかっても、ない。 この身体であるかぎりは。 自分がそれを一番よくわかっている。それだけに、現在のQOLを上げようとする行為がとても虚しく感じる。 100だったころを知っているのに、5に上がったから何なん?と思う。 自分の生きるうえでの目標を強いて挙げるとす
自死について考える参考に安楽死を扱った本を読んでいる。スイスに渡り安楽死を試みた女性の自著を読んだ。今は、法的に安楽死が可能な国で取材を続けたジャーナリストの本を読んでいる。 安楽死を希望する(した)人は、余命宣告を受けているもしくは、耐えがたい痛みがあり、それに改善の余地が無いことがほとんどだった。 実際に、自殺幇助を提供する団体では、安楽死を実施する条件として、耐えがたい痛みがあることなどが明記されている。 自分をふりかえってみると、今、耐えがたい痛みがあるかと問わ
頚髄損傷C6B2完全麻痺 27歳の時にこの障害を負ってから2年と7ヵ月になる。 現在、自分が何を考えているのか。受傷以来、どのようなことをどのように感じてきたのかを、整理してアウトプットしたくて書き出している。 これまでにも何度か、思っていることを文章にするのを試みたことはあったが、めんどくさすぎて続かなかった。 にもかかわらず、再度同じ類いの文章を書きはじめた理由は、「自分がいつ死ぬかわからないから」だと思う。 どうせ後で書くと思うので詳細は割愛するが、最近になって
障害を負ってから半年程経った頃から、内面にも変化があった。 無関心で無気力、自己評価が低く、他者との関わりを極力避けるようになった。 今まで当たり前にできていたことができない。尿や便を漏らす。落ちたものを拾うのに何分もかかる。日に日に筋肉が落ちて骨と皮だけになっていく体を目の当たりにする。上述した変化が不可逆なものであると、頭の芯から理解をする。自尊心、誇り、プライド、自信などの、パーソナリティの土台となっていたものが、無くなってしまった。 今までは、自分が劣っていると
また随分期間が空いてしまった。 自分の思考を文字にしてアウトプットするのは本当にめんどくさい。 1つの文章を打ち込むのにも何度も誤字を打ち、書き直すはめになる。 そもそも始めるまでの腰が重いし、書き始めても集中力が続かない。 前回の続きを書いていく。 この体になって、やりたいこと、欲しい物、行きたい場所、会いたい人が何もない。 にも関わらず、日々、死ぬ程惨めな気持ちに頻繁になる。 さらに、原因となっている障害が回復することはない。 ならば、早く死んでしまいたい
2022/09/30 時間はアホほどあるのに、なかなか書き始めるのが億劫だ。 何を書こうか。 前述したように、2020年に怪我をして、治らない障害を負った。 受傷後、はじめの6ヶ月は社会復帰に向けて前向きだった。 6ヶ月を過ぎた頃から、早く死にたいと思うようになった。 理由はいくつかある。 障害が治らないものだということを、腹の底から理解し始めたこと。 それまでは、なんやかんやでよくなるだろうと、心のどこかで無意識に考えていたのだと思う。 頚髄損傷を負った
何から書いていこうか。 そもそも誰に向けて、何のために書いているのかもわからない。 この世のどっかになんかしらの形で、自分の考えてることを残してみたいという自己満足なんだろうと。 頭の中で書きたいと思ったことは沢山あるけれど、動かない指では入力する速度が全然追いつかない。 首の骨を折ってから、頸髄損傷の障害を負ってから、今年の11月で2年になる。 文章力が随分落ちた。 第5頸椎の圧迫骨折。確かそうだったと記憶している。 要は鎖骨から下の感覚、運動機能が全く無い。