こんな私でも講師になれる日がきますか?
今年の2020年の8月の頭くらいに20分ほどの時間でとある会合で講師をさせていただくオファーが入ってきました。
まだ先のことなので、今はまだ本格的な準備をしないでも大丈夫そうです。
(などと油断してはいけませんね。)
あっという間に7月が終わり8月が来るはずなので時間の許す限り講師としての職務を果たすつもりで必死に下調べをしておきたいところです。
(かつ引っ越しの準備もぼつぼつ始めないといけません。)
思い返すとnoteをつけ始めたのが今年の2020年4月20日です。
今日が7月6日です。あれから3ヶ月もしないうちにつつましくも自分の夢がかないそうな予感がして少々驚いています。
そうたいは、生活研究者として特に家政学会や家政教育学会などに所属しているわけでもありません。
(ましてや文部科学省後援などをもらっているわけでもないです。ただの一般ピーポーです。)
そんな私でも、その日だけ単発の1コマだけであっても、「教える場を設けてもらえそうになっていること」に対して思いは格別です。
さっそく1コマおいくらになるんですか?と主催者に御礼の額を
たずねるなんてことはしませんしできません。
(最初のうちはお金にならなくて当然だとも思います。もらえたら遠慮なくいただくとして。)
これをきっかけに次にお呼びがかかる日が来ておいくらほどか稼げるようになると、夢の一部が本格的に叶うということになります。
noteをつけたらお金がもらえたなんてうまい話あるわけないか。
そんな風に最初はかんがえておりました。
noteで研究者になれるとは、半信半疑で始めたようなものかもしれません。そうたいの記事は、よほど変わった人でもなければ読んでもらえないかとも心配もないわけではありません。
それでもnoteを続けることで生活に張りが生まれて自分がよりよく生活できる貴重な道具になっていることは間違いありません。
私は実は教員免許を持っていません。なので学校などで教える直接の資格を持ちません。
だから人に教える仕事はもう無理かなとか思っていました。
ましてや生活研究の発表の場など自分とは縁が程遠いものと感じたように思います。
でも、諦めないで手探りしていたらどうにか道は開けてくるのを感じています。
結構くだらないnoteの内容にも関わらずスキをつけてくださるクリエイターの皆様にまずは改めてお礼を言いたいです。
それとともに、うへへへなど若干自虐的かつこいつはうっかりなコンテンツの提供になりがちな自分でも、読んだ方々に少しだけ気持ちが軽くなったり、日々もがいてる様子が伝わってなにか行動を促す軽く動かすための触媒になれたりもしたらと思うのです。
「レンタル何もしない人」が書いた本を読んで感想を書いたことがあります。
この筆者が自分は何もしないようなという触媒効果について触れていたように記憶しています。
とても素敵な読書体験だったし、今日感じていることと重なる点も多いのでその記事を貼っておきたいと思います。
ここまで読んでくださったあなたへ。喜ぶのはまだ早いわたくしではありますが。
最初から講師としてうまくいく保証なんてありません。派手な失敗もしそうなリスクだっていくらだってあるわけです。
であろうともnoteを活用して夢をかなえたり、小さな成功や反省を少しずつ重ねることで、ますますあなたとわたくしの日々の暮らしが豊かになりますように。
そのように祈ってやみません。そういえば明日は七夕ですね。
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