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組織を作り動かしているのは人間の「限定合理性」である 組織の不条理①

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菊澤研宗『組織の不条理』は、戦史研究を通じた組織論の名著として『失敗の本質』と双璧を成している。

菊澤は一貫して、人間はあらゆる情報について把握した上で最適なオプションを選択できるという「完全合理性」の幻想に対して批判的な立場をとる。

近代的な経済学はこのような完全合理的なホモエコノミクス(利潤の極大化を目指して行動する経済的人間)としての人間を想定して成立しているが、菊澤の依拠する新制度派経済学はこのような見立てを拒否し、人間はあくまでも限られた情報の中で自己利益を最大化するための機会主義的な行動をとるという「限定合理性」の立場をとる。

このような見方を取ることで、それまでは市場空間の中で均一な行動を取る”点”としてしか捉えられなかった企業の、内部における力関係のあり方=ダイナミクスを捉えることができるようになるためである。新制度派経済学に関する簡単な歴史的説明は、菊澤氏の研究会ページを参照されたい。

本書では、日本軍の戦史研究について①取引コスト理論、②プリンシパル=エージェント理論、③所有権理論の3つの分析概念が提示される。それぞれをごく簡単に紹介すると、このようになるだろうか

取引コスト理論
限定合理的な個人同士が、情報の非対称性を利用して自己利益を最大化する機会主義的な行動を取るものと仮定した上で、このような機会主義的な行動を抑制するための管理や監視のためのコストを取引コストと呼ぶ。

例えば、取引相手が製造過程を可視化できないことにつけこみ、粗悪品を混入させる製造元などが良い例だ。このような行動を防ぐためには、売主が製造元の製造工程を監視することが求められる。このような見方をもとに、現存の組織制度やガバナンスのあり方を分析するのが取引コスト理論である。

組織論にこれを展開すると、フラットで互助的な経済団体は、管理者を伴う企業体へと進化し、最終的に各事業の独立性を担保する事業部制が導かれることになる。機会主義的な行動(要するにフリーライド)を抑制するために、まずは管理者の設置による中央集権的な体制が生じる。

だが、管理者の限定合理性に漬け込んで各部門が機会主義的な行動を取るチャンスは規模の増大と共に上昇するため、どこかのタイミングで事業部に責任を伴う自治的なガバナンスを許容する事業部制に移行することが最適解となる。事業部には機会主義的にサボりを行うインセンティブがない(サボれば自分の責任になるため)ため、最も効率的なガバナンスになる。

プリンシパル=エージェント理論
全ての人間関係はプリンシパル(依頼人)とエージェント(代理人)の間の取引関係に還元することができるとする立場。

例えば企業運営においては、株主がプリンシパルで取締役がエージェントとなり、業務執行では、取締役がプリンシパルで、執行役員がエージェントとなる、といった具合である。

ここでもプリンシパルとエージェントとの情報の非対称性に基づく機会主義的な行動が発生しため、プリンシパルはエージェントの機会主義的な行動を抑制するために制度的な管理体制を構築するという見方がプリンシパル=エージェント理論である。例えば、株式会社における監査制度や取締役会制度は、プリンシパルたる株主が経営における機会主義を抑制するために設けられているとされる。

いわゆるアドバースセレクション(逆淘汰)を抑制するための制度設計、もこの理論に基づいて説明することができる。例えば有名なレモン市場理論を例に取る。中古車市場において、売り手が書い手との間での情報非対称性に基づき、粗悪品ばかりを販売する。結果、買い手は中古品自体買おうとしなくなり、優良な売り手は粗悪品によって吊り下げられた市場価格に魅力を感じなくなり、結果市場には粗悪品の売り手ばかりが残る結果になる。

このような状況を抑制するために、プリンシパルである購入者に向けて、エージェントである売り手がアフターケア制度や保証制度を導入し、優良業者であることをシグナリングすることが求められる。

所有権理論
所有権を⑴財のある特質を排他的に使用する権利⑵財のある特質が生み出す利益を獲得する権利⑶他人にこれらの権利をうる権利と仮定するが、限定合理的な個人を想定した場合、財の特質を完璧に把握することはできず、その効用を誰にも帰属できないという状況が生じる。

プラスの効用である場合はそれが活用できず、マイナスの効用である場合は、外部にそれが垂れ流しになる場合がある(化学物質の排気による公害被害などが良い例)。これを外部性が生じているという

本来であれば、このような財の特質の帰属状態が不明瞭である状態は望ましくないため、所有権を明確化するための制度の設計が行われることになる。これを外部性の内部化と呼ぶ。

ただし、所有権を明確化するためのコストが、現状維持するコストより高いと考えられると、合理的に現状維持を行うという選択が行われる場合がある。

このような視座に立って考えた場合、日本軍は非合理的な作戦行動によって自滅したと考えるべきではなく、限定合理性にもとづき、自己利得を最大化する機会主義的な行動を合理的に選択していたと考える方が適切だというのが筆者の立場である。詳細は本書を参照されたいが、ここではガダルカナル戦を例に出す。

失敗の本質でも詳述された通り、ガダルカナルで日本軍は成功の見込みの極めて小さかった白兵戦に狂気的なこだわりを見せ、3日にわたって壊滅的な突進攻撃を行った結果何の成果も得られず大敗した。

鉄条網の向こう側で、戦車の砲弾やライフルの銃弾の雨嵐を浴び続け、それでも怒声を上げて銃剣を手に突進してくる日本兵の勇猛は、アメリカ兵に大量のPTSD患者を生じさせた以上の戦果は何も得られなかった。

生き残った日本兵はジャングルに逃れたが、日本陸軍は兵站を軽視していたため大半は餓死したかマラリアで足の先から腐っていった。息のあるものは、同胞の死骸を喰らって生き延びた。日本軍の被害は2万人を越え、兵力の6割近くを失った。

これまでの戦史批判では、主に日本陸軍の無謀な作戦遂行や白兵作戦へのこだわり、陸海軍の連携不足などが批判されてきた。特に白兵戦については最初の作戦実施の段階で近代化された米軍の武力の前に歩兵突撃では勝ち目がないと何度も現場の指揮官から進言を受けたにもかかわらず、これに固執した将校や大本営の対応こそ、非合理的で近代化できない日本型組織が抱える問題の最たる例だとされてきた。

菊澤はこのような見方を退け、白兵突撃を選択したのは限定合理性のある行動だったのだという。

ここでは重要な分析概念として、”歴史的経路依存性”が提示される。あらゆる制度や組織的な形態は、全て歴史的な経緯を持って存在している。日本陸軍は明治時代以降、白兵突撃を主たる攻撃手段として想定し、兵器の拡充や部隊編成を行ってきた。

教育も全て白兵突撃を念頭に置いて行われていた。白兵突撃を辞めるという決断はすなわち、これらを全てサンクコストとして浪費するということになる。この計算することもできない途方もない投資と歴史的背景を放棄してまで、白兵突撃から転換することは、取引コストの観点で最適だとは考えられなかったはずである

現場を説得し、将校を説得し、大本営を説得するだけの取引コストを割くのであれば、ごくわずかでも成功する可能性のある白兵突撃を実施した方がマシに思えたのである。

実際のところ、本書の中で繰り返し登場するのはこの歴史的経路依存性に基づくサンクコストが、人間の限定合理性に強く影響を与えるということである。

無論、完全合理性の立場に立てばそもそもサンクコストについて考えること自体全く合理的ではない(その結果として積み上がっているものがもはや無意味なのであるから)。

だが、人間は限定合理的にしか振る舞うことができない以上、こうしたサンクコストの影響から逃れることはできないのである。このような見方は、現代的な組織運営の上でも必ず脳の片隅に入れておかなければならない。私たちは限定合理的であり、そこから出発する議論のみが有効だと菊澤は主張するのである。

あまり長くなるのも良くないので、本稿はここで閉じることにする。菊澤はもう一つの重要な指摘として、敗戦中の日本軍がある種の分権型組織に移行していたことを硫黄島戦や沖縄戦を元に論証している。これもまた、限定合理的な組織論を語る上で欠かせない観点となる。この点に関しては次回以降で言及する。




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