見出し画像

ラクビーワールドカップとカルバンクライン「エタニティ」の偶然かつ永遠の関係

あいにく開催中のラクビーワールドカップには興味が湧かないのだが、「ラクビーワールドカップ」でふと思い出したのは、1995年のオーストラリアでのこと。

5月に日本からオーストラリアに旅立ち、シドニーで2週間ほど過ごした後、ふと思い立って Thredbo という New South Wales 州のスキーリゾートに行くことを決め(オーストラリアのスキーシーズンは5月下旬から始まる)、グレイハウンドのバスに乗って、キャンベルとかいくつかの町に寄り道しながら、ようやく到着した、その晩のことだ。

宿は何となくユースホステルに決めて、チェックイン後に、先客のクールでカッコイイ日本人のお兄ちゃんと少し話をして、その後一緒に集団生活をすることになるイギリス人の Toby ともドミトリーのベッドのことで事務的な会話をした(どうやら僕が取ろうとしたベッドは、彼が先に取っていたらしく、申し訳ないが荷物をどけてほしい、という内容だった)。

その晩、ふらっと近くのバーに行ってみたら、巨大な白人男性が大勢集まっていて(日本人の中でも小柄な僕からしたら、みんな巨大なのだが)、ビールを片手にテレビを見ながら熱狂していた。それが1995年のラクビーワールドカップだった。その時の盛り上がり具合から想像するに、中継されていたのは、おそらくオーストラリアの試合だったのだと思う。

その時もラクビーには興味がなく、大人しくビールを2本ほど飲んで酔っ払って宿に帰ったのだが、なぜか知らないがやたらとご機嫌なオーストラリア人の可愛い女の子(外国人らしいチリチリのパーマヘアだった)がユースホステルのリビングキッチンに居て、初対面にもかかわらず、そのまま恋人になってしまうんじゃないかと思うくらい仲良く話をした。ティーバッグの紅茶かなんかを飲みながら。

その後、ひょんなことからその女の子とも一緒に集団で生活することになったのだが、当然のことながらずっとご機嫌な状態が続くわけはなく、女性が持つ dark side というものをイヤというほど教えてもらうことになるのだが、それはさておき。

その初対面の時、Suzy というその女の子が着けていた香水の甘い香りは、鼻腔を通じてまだ若かった僕の脳(海馬)とハートの奥深くまで届き、生きている限り忘れない香りに光速で昇格した。

あれから24年が経った今でも、街ですれ違いざまに誰かが身に纏っているその香りをかぐと、僕は必ず振り返ってしまう。そして、死ぬほどご機嫌で最高だったあの夜の Suzanne (というのが正式な名前だった) のことを2秒だけ思い返す。

カルバンクライン「エタニティ」――

Photo by 21 swanon Unsplash

#懐かしい思い出
#断片的なものの社会学
#香水
#ラグビーワールドカップ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?